旅先の思い出のーとぶっく

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広島城天守閣と、原爆ドーム(平和記念公園)を観察 冬の18きっぷ西日本遠征

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今回は広島城原爆ドームの記事を書き上げます。

太平洋戦争に翻弄された都市、広島をメインに書いていきたいと思います。

投稿が遅れまくった年末18きっぷの旅のいよいよクライマックスです。

 

前回の記事はこちら↓ 

 

ikeeki.hatenablog.com

 

広島城原爆ドームへ駅から歩く際は、

広島駅ではなく、1つ西隣の新白島駅が最寄です。しかも、天守閣を見ることもできます。

新白島から行くと広島城天守が見えるところまでは1km弱、原爆ドームまで2kmほど。

一方広島駅から広島城までは1.6km(しかも表門までの距離で、反対側の天守閣は見ることができない)、原爆ドームへは2.5kmあり、バスか路面電車を使うのがベターです。

 

片道200㎞以上の鉄道切符で訪れる場合は発着駅が広島市内になるので、健脚の方は新白島駅のルートをお勧めします。

 

とはいえ、天守閣を見ながらいけるというだけで、新白島からでも到着する時間はほぼ同じですけどね…

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表門へ向かう途中で天守閣を見ることが可能です。

広島城は、中国山地から三段峡や可部のあたりを流れる太田川の三角州付近に位置します。

その三角州が市街地なのですが、実は広島駅付近はその外側にあり、市街地から少し外れています。

もちろん広島駅前はかなり栄えていましたが、若干市街地の外れであるということは否めません。

仙台駅や熊本駅と同じ感じですね。

(だからこそ市街地に向けて路面電車や地下鉄が走っているのですが)

広い堀の奥にマンションが立ち並ぶというのが、いかにも都市らしいなと思ったり。

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案の定広場となっていて、都心のオアシス的な人々の憩いの場となっていました。

木造のお城を生で見たのは初めてでした。格好いい。

天守の大きさは日本5位のようです。

そして、この広島城なのですが、日清戦争が発生した1894年には中国に近いということでなんと大本営となったようです。 

大本営なので当然天皇が移ってきたそう。天皇が住んだのは奈良、京都、東京だけではなかったんですね。

大本営は戦争終結で終わりましたが、第二次世界大戦終結する直前にも軍の司令部があったそうで。

長野県の松代が太平洋戦争の大本営になりそうだったということは知っていましたが、かつてはここにもあったんですね。

 

www.rijo-castle.jp

 

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川沿いに南に進んでいくとヤナギの木がありました。

普通のヤナギ…と思ったら、樹齢370年の爆心地に最も近いヤナギとのこと。

なんと原爆の被害にあったヤナギだそうです。

被ばくしたとは思えないほど立派な木でした。自然の力強さともいえるのでしょうか。

原爆ドームとは川を隔てた対岸にあるのであまり観光客はいませんでしたが、これはもっと注目スポットにしても良いのではないかと思いました。

上の写真の中では一番手前の木がその被災樹木で、それより奥が戦後に植えられた木々、そして原爆ドームとなります。

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橋を渡ってみると原爆ドームがありました。

川沿いにはたくさんの方が見学していました。

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現在の原爆ドームは、日露戦争などでの軍需品の調達により、国内の市場競争に負けないように製品開発・品質向上・販路拡大といった地域の経済をより活性化させる拠点となることを目的とし、

1915年に物産陳列館としてつくられました。

チェコ人のヤン・レツルが設計し、当時都心部でも木造2階建ての建物ばかりだった広島で大きな注目を浴びました。

1944年までは産業を奨励するだけでなく、博物館・美術館として広島の文化振興をするところでした。

 

1945年8月6日の午前8時15分(18分説もある)に当時の新型兵器の原子爆弾が広島で爆発。

爆心地の地表面温度は3000~4000℃と推定され、町は一瞬で灰に。その時点で14万人もの人が亡くなったといわれています。

しかし、爆心地から160mという至近距離ながら奇跡的に倒壊を免れ、いつしか原爆ドームと呼ばれるようになっていきました。

 

後世に残すという意味で記念物として保存するか、市民の悲惨な記憶を思い出させるうえ倒壊などの恐れがあり危険だから解体するか意見が分かれていましたが、

復興が進み戦争を後世に残す建物が失われていき、

さらに冷戦下で核兵器の悲惨さについて訴え「核兵器のない社会」にしていこうということで、

多くの方の寄付金や署名、努力があって1967年に第一回保存工事が行われ、1996年に世界遺産に認定されました。

 

※広島に原爆が落とされたのは戦争終結のためというより、実際の原爆の威力の実験、アメリカがソ連との対立で少しでも優位に立つためなどの理由が言われてはいますが、とりあえずここでは置いておきます。

 

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原爆の子の像です。

この像は、原爆の後遺症である白血病のため12歳という若さで亡くなった少女・佐々木禎子さん。

彼女は千羽鶴を折れば病気が治ると信じて鶴を折り続けていましたが、かなわず12歳という若さでこの世を去ってしまいます。

彼女の行為が世界中に、折り鶴と平和を結び付けたといわれています。

今でも千羽鶴が世界中から届けられて、公園内のいたるところに折り鶴が飾られています。その数1千万羽を超えるとのこと。

中学校の英語の授業でこの物語を読みましたが、こんな純粋な子供の命までも奪う、これが戦争か、とショックを受けた記憶があります。

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「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉です。日本人なら知らないと恥ずかしいというレベルの常識だと思いますので是非見に行き、暗記することを強く勧めます。

石室には亡くなった被爆者28万人以上の名前が記された名簿が収められていて、

ここに眠る人々の霊を雨から守るため家形埴輪の形の屋根があります。

ところで、この言葉の主語は特定の一個人ではなく、きっと私含む人類全員ですよね。

上から目線ではなく、私たちが戦争という過ちを二度としないようにするという決意の文だと思います。

 

 

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 近くには無料の資料館もあり、勉強になりました。

戦争中で貧しいなか人々は必死に生きていて、その人々を無差別に殺すというのは、戦争とは絶対悪だなと改めて思いました。

こんな恐ろしい戦争が70年ちょっと前まであったとはやはり信じられませんでした。

 

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爆心地のあたりは完全に街の中。

観光地にすらなっていませんでした。

原爆ドームや慰霊碑ばかりではなくこういうのも本来は残すべきだとも思いましたが…

もっとも平和記念公園とは離れているので、その雰囲気は全く感じることはできませんでした。

www.city.hiroshima.lg.jp

www.city.hiroshima.lg.jp

 

www.city.hiroshima.lg.jp

 

ただ…

ご覧になればわかると思いますが、原爆ドームのまわりはかなり復興していてビルが立ち並んでいるため

戦争が起きたということを理解するのはいささか難しかったです。

世界遺産となり外国人含めて多くの人が見に来ていますが、そこだけ時間が止まったようには見えますが、

戦前と戦後をつなぐ架け橋としてはいささか不十分な気がしてしまいました。

だからと言って、この復興を否定することはできませんし、

では戦争のことを忘れることでしか今の発展がもたらされないのか。

復興とは一体何なのでしょうか。

これは東日本大震災の被災地にも言えるのではないでしょうか。

 

正直、原爆が落とされた広島でさえ戦争が風化していっているなと思いました。

長崎は行ったことないので強くは言及できませんが…

時代が進むにつれて、幸か不幸か戦争の歴史が失われている気がします。

失われた街を改めて発展させたことは素晴らしいとは思いますが、それを忘れてしまうことはよくないでしょう。

 

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当時一体何が起きたのか、どんなことが起きたのか、ふたたび起こったら今度こそどうなるのか。

これを忘れては国のため命を懸けた先人たちの死は無駄になってしまうのではないでしょうか。

広島(もちろんほかの地域も)今後もこのような被害があったことは伝え続けてほしいし、自分もこれからも訪れて、学んでいきたいなと思います。

 

最後に、慰霊碑の説明板を紹介して終わりとします。

長いシリーズとなりましたが、閲覧ありがとうございました。

 

 この碑は昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている 

※数字のサイズを半角に修正しました。