【駅の目の前・福山城】冬の18きっぷ西日本遠征Ⅳ 播磨新宮→福山→三原
岡山行きに乗車し岡山で乗り換えて福山へ。
日生だかそのあたりで一気に人が乗ってきて、伊部・邑久などで車内は東京のラッシュ時並みの混雑に。
さすが政令指定都市・岡山。需要は東京ほどではないとしてもかなり多いようです。
(2両編成はさすがに短すぎる感がするけど)
前回の記事はこちら↓
せっかく岡山に来ましたが今回はスルー。
岡山の後楽園や倉敷、吉備津神社など見たいものはたくさんありましたが、疲労のことを考え妥協しました。
事実、この後来た糸崎行きも大混雑で福山までずっと立ちっぱなしでした…
ここまで人が多いとは…正直舐めてました(-_-;)
どこかの駅から見えた工場。
瀬戸内工業地帯は石油重化学工業が有名だったっけ…とか思いながらこれだけ写真に撮りました。
工業地帯なんだというのは2日目に実感するのでここでは触れないでおきますね。
放心状態で立ち続けること1時間。福山に到着。
福山駅は結構大きな町で新幹線のぞみも一部停車します。
そして何より、駅の目の前(もはやホームからすぐ見える)に城跡があります。
天守閣が駅からこんな近いとは衝撃的です。
こんな感じ。駅の出口を出てからほんの1、2分で城郭までたどり着きます。
自分は全国の城跡は1割も行っていないとはいえ、
町の中心駅からここまで近い所にあり、天守閣まであるお城なんてほとんどないと思います。
福山城は、1619年(元和5年)に譜代大名・水野勝成が徳川幕府によって備後10万石の領主に封じられた後、1622年(同8年)に完成した城です。
「江戸時代建築最後の最も完成された名城」としてたたえられたそうです。
歴代の藩主は、水野家5代、松平家1代、阿部家10代と続き、廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心でした。
しかし1873年(明治6年)に廃城となって多くの城の建物が取り壊され、更に1945年(昭和20年)8月の空襲により国宝に指定されていた天守閣と御湯殿も焼失してしまいました。
しかし、この伏見櫓は戦災をくぐり抜けました。
このやぐら、3階3層なのですが水野勝成が福山城を移築するにあたって、徳川2代将軍・秀忠が京都の伏見城の二の丸から移設してきたそうです。
姫路城ほどではないとはいえ、白壁3層構造の豪華な姿から安土桃山時代の気風をただよわせます。
ちなみに、本丸の正面の筋鉄御門も伏見城から移築され、この門も千歳の被害から逃れたそうです。
さらに、月見櫓や油殿という城の建物を、講演会やお花見などで貸し出しているそうです。
駅に近いだけでなく、地域に根付いた城という雰囲気でした。
少し途中下車して軽く見る程度でも楽しそうなのでお勧めです。
www.city.fukuyama.hiroshima.jp
***
駅の目の前にある城というのもなかなか珍しかったです。
駅のホームから見るだけでなく、乗換や待ち合わせの待機時間や、ずっと乗りっぱなしの18きっぷ旅での途中下車などで気分転換として重宝しそうですね。
そして福山の駅先もなかなかいい雰囲気でした。
城の景色がよく見れないのが残念?
このあと115系に乗り換えつつ三原に到着。
三原駅といえば三原城跡が目の前どころか駅の敷地内にありますが、翌日に備えスルー、早めに睡眠をとりましたとさ。
さて次回は2日目、海軍のまちの呉、原爆投下された広島の観光の記録です。重い内容になってしまうかもしれませんが、どうぞお楽しみに。
閲覧ありがとうございました。