旅先の思い出のーとぶっく

鉄道、途中下車の旅、城跡めぐり、まち歩き、写真が大好きです。

【東日本大震災から8年半】大きく変わる直前の被災地・陸前高田を訪れる

2019年9月5日、陸前高田に行ってきました。

自身4回目となる陸前高田訪問です。

何度も被災地を訪れることで、

ここは前回来た時よりも風景が大きく変わっているなあ、とか、

ああ、ここはあまり変化していないのかなあと思うものです。

 

比較をすることで、津波を受けた被災地が、

再生・復興に向けて変わっていく様子が目に見えてわかるので、とてもうれしいものです。

 

しかし、今回の訪問では今まで見た中で一番といいますか、

3月の半年前に訪れた時とは”町が変わろうとしている”というのが目に見えてわかるほど

大きく変わっていました。

 (下部にもリンクを載せてあります)

 

 

20190907172040

奇跡の一本松が目的地なのですが、

例によって、盛から奇跡の一本松には止まらないBRTに乗車したので、
陸前高田駅で下車。

あれ、駅前のスーパーの隣にこんなのありましたっけ…

いきなり驚かされてしまいました。

20190907171905 20190907171847

セブンイレブンから見た景色。

まあいまだに何もない所で工事が続いているのですが、

白い屋根の建物が建ったり、稲が生えたりと三月とは全く雰囲気が異なりました。

あの白い建物については後述します。

f:id:Ikeeki:20190918165841j:plain

f:id:Ikeeki:20190918165935j:plain

(2018年3月)

20190318143212

(2018年9月)

20190318144010

20190318141347

(2019年3月) 

 ちなみにこのあたりのかつての姿はこんな感じ。

変わってないようで大きく変わっていることがよくわかるかと。

 

20190907171824 20190907171759

とはいえ、宅地の予定地には雑草が生い茂ってしまいました。

津波を受けて土が海水を吸っていたら草も生えないと思うので、

土の中の塩分は取れているということでしょうが、

家がほとんど建っていないということも相まって、

この姿を見るとなんだか虚しくなります。

 

そこから半年前と同じルートを辿って歩いていたのですが…

 

20190907172015

あっ(察し)

道が変わってるんですね…

この先はまさかの行き止まり。

この時は知らなかったのですが、BRTの経路まで変わったらしく、道の駅高田松原沿いのルートに変わってたそうです。

仕方ないので引き返すことに。下の写真の場所からの定点撮影はできないんですね。

訪問4回目ということもあって完全に油断してました。もっと下調べするべきでした…

20190907171953 20190907171930

気を取り直して駅を通り越して歩くと、護岸整備をしていました。

実は、ここまで近くではっきりと工事の様子を見たことはなかったので衝撃的でした。

今回は見られませんでしたが、以前はいたるところで土嚢が大量に置かれていたので

こういう作業で土がたくさん出てきたのでしょう。

 

それにしても、8年半経ってもなお、街づくりというよりもこのような地盤の工事をしている様子があちこちで見受けられました。

もちろん地盤を固めることは大切ですが、

気仙沼の市街地に比べるとあまりにも街が新しくなるスピードは遅い。

それだけ被害が大きかったということですが…

まだまだ復旧・復興にはほど遠いと言わざるを得ません。

f:id:Ikeeki:20190918174758j:plain

f:id:Ikeeki:20190918174839j:plain

 

20190907172153

20190907172245 20190907172221

 

20190907172126 20190907172103 20190907172345 20190907172325

元・道の駅高田松原です。

現在は閉鎖中。ご覧の通り建物が崩壊してしまいました。

しかし、ここは9/22に震災の伝承館としてリニューアルオープンすることになりました。

気仙沼階上にある伝承館にも行きましたが(後日アップします)、

幸か不幸か被害が少しずつ消えている中で震災のことを後世に残すことはとても大切だと思います。

f:id:Ikeeki:20190918170219j:plain

(2018年9月)

1年前は白い壁でおおわれて、工事真っ最中でした。

1年でここまで変わるもんなんですね…感動しました。

 

f:id:Ikeeki:20190918173824j:plain

20190907172306

稲が美しく色づいていましたが、まさかのピンボケorz

奥の橋はBRTの専用道路でしょうか。

f:id:Ikeeki:20190918173749j:plain

橋の上で見つけた看板。

ここで半分、残りもう少し… 

どこから測ってるのよ!(笑)と思いながらひたすら歩きます。

f:id:Ikeeki:20190918173222j:plain

いや、なぜ道が水没してるの…

20190907174713

今現在は駐車場やBRT駅から奇跡の一本松までは

新たにできた橋を上って降りて、

水没した道を迂回しつつ、

グネグネと遠回りしながら行かないと行けないのですが、

先ほどの伝承館が出来たらそこから奇跡の一本松までは

一本道で行けるようになります。

あと2週間程度で完成させるために急ピッチで工事が進められていました。

 

例によって、工事の関係で一本松までのルートも大きく変わっていて、

さらには一本松正面の橋まで行くことも出来ず。

これまた下調べ不足でしたorz

 

近くで見れると思っていたので残念でしたが、

水面に移る一本松という、今まで見ることができなかった一本松を見ることができました。

20190907172428 20190907172410 20190907174732

何もないような更地ばかりなのですが、

かつては何万もの松林があって、山やユースホステルなど周りの風景なんて何も見えなかったはず。

当然この一本だけが目立っていたわけがありません。

 

津波がたった一晩で松林を襲い、

松が一本だけ残るという"奇跡"が起きたということは

頭では理解しているはずなのに、

今でもどうしても信じられません。

津波の”恐ろしさ”という言葉では表しきれないものではないでしょうか。

 

そして、聞こえるのは周りで行われる工事の音と岩手県議会選挙の選挙カーばかり。

どちらもうるさいなあと思うのですが、

それが聞こえなくなると不気味なほどの静かさになりました。

 

水面にぼんやりと浮かぶ一本松、

今にも雨が降りそうな曇り空、

さらに若干の寒さも相まって、

今まで一本松を見てきた中で1番"冷たさ"を感じました。

 

どんよりした曇り空では、気が滅入ると言いますか、

なんだか辛いものがあります。

同行した友人の「震災前は奇跡でもなんでもない松林の中の1本だった」という言葉に

この状況に慣れてしまって忘れかけていた、

異常な被害の大きさを感じます。

 

この”冷たい”一本松を見ていると、

伝承館ができても、たとえ”復興”工事が終わっても、

本当にこの状況が変わることはあるのだろうか。

申し訳ないですが、初めてそんなことを考えてしまいました。

陸前高田にとっての試練はずっと続くのかもしれません。

f:id:Ikeeki:20190918174319j:plain

20190907174753 20190907174834

いずれにせよ、次来るときは町は大きく変わっていることでしょう。

再訪を誓って奇跡の一本松を後にしました。

20190907174938 20190907174915

先ほども書きましたが、工事通行止めになっていました。

 まさかBRTのルートまでも変わっているとは思いませんでした。

奇跡の一本松駅も伝承館の中に作られるとのこと。

伝承館は気仙沼階上に出来ましたが、陸前高田の伝承館も9月22日に出来るそうです。

またオープンしたら行ってみようと思います。

ちなみに階上の伝承館にも行ったので、

また記事に書こうと思います。

f:id:Ikeeki:20190918170258j:plain

(2018年9月)

この砂ぼこりが舞う道路も変化することでしょう。

新たに来た時町はどんな姿を見せてくれるのでしょうか。

そう考えながら陸前高田を後にしました。

***

果たして、この状況で復興しているといえるのか、

それは自分にもわかりませんが、これが現実。

誰だってこんな現実から目をそむけたくなるでしょう。

それでも、被災地は行くたびに、ゆっくりと、しかし確実に変わっています。

 

何もかも無くなった絶望を乗り越えて、

新たに何かを生み出すというのはとても難しいことだとは思いますが、

それを明らかに実行している。

亡くなった方の分まで、被災した人の使命だという方もいますが、

本当に皆さんの努力の証だと思います。

 

もしかしたら、新たなまちづくりは終わることなく、いつまでも続くのかもしれませんが、

それはそこまで大きな被害の中で、被災した絶望を乗り越えた人々の努力があったことを忘れないように。

悲しい悲しいと簡単によそ者が言うことなんてできません。

ただの大学生の私にできることは限られているでしょうが、

これからも何度も何度もずっと訪れて応援しようと思います。

また東北を訪れる時が、早くも楽しみです。

 

閲覧ありがとうございました。

かつての陸前高田訪問記もありますので、よろしければぜひご覧くださいませ。

 

 

↓かつての陸前高田訪問記↓

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

 

 

【三保の松原】静岡県清水で美しい富士山を見てきました

f:id:Ikeeki:20190714214226j:plain

もう4月のことですが、静岡県清水に行ってきました。 

地元が中央線沿線ということで、富士山は山梨から見ることは多いですが

静岡から見ることは少なかったです。

雪があるうちに行ってみたい、ということでこの春休みに清水に行ってきました。

 

東京から4時間くらいで清水に到着。

オール普通列車で立った区間もあったとはいえ、

東北本線乗り継ぎに比べると本数も多く、車内の混雑も意外ときつくはなく(ロングということもあって)、比較的楽でしたね。

20190714214030 20190714214017 20190714214007

清水駅から10分ほど歩いて港に到着。

由比や焼津も同様ですが、駅の近くに港があるあたり、さすが静岡県だなと。

清水の港で500円でレンタサイクルを借りてから三保半島行きの船に乗船。

船には自転車も無料で乗せられるので便利です。

f:id:Ikeeki:20190907163954j:plain

20190714213959

さあ出航。

船を見てる方がほとんどで、乗る人は少なかったですね。

三保の松原まで車で行けることや、単なる観光船ということもあるかもしれません。

20190714214621 20190714214559 20190714214530 20190714214433 20190714214323

それにしても清水はなかなか面白いところです。

観覧車やちびまる子ちゃんランド(清水はさくらももこさんの地元で、アニメ「ちびまる子ちゃん」の舞台も清水です)を有するエスパルスドリームプラザがあるかと思えば、

反対側を見ると石油工場や貨物置場の埠頭、駅前のマンションなんかもあり、

なかなか東京では見ることができないバラエティーに富んだ建物が多かった印象です。

まあ私みたいな物好きな人しかこういう風景は興味ないかもしれませんが(笑)

富士山は残念ながら雲に隠れていましたが、なかなか楽しめました。

20190714214735 20190714214714 20190714214647

この船は清水港から三保の松原に行く観光船。船内で鳥の餌を売っています。

家族連れが買った餌をばら撒こうとすると、たくさんのカモメが文字通り飛んで来ました(笑)

何十何百というカモメが周りを飛ぶという、鳥好きにはたまらない光景でした。

 

そしてマリンスポーツを楽しむ方も。海面を猛スピードでかっ飛ばす姿はとても格好いいですね。

港で降りてからはサイクリングを楽しみます。

f:id:Ikeeki:20190907165209j:plain

f:id:Ikeeki:20190907165255j:plain

f:id:Ikeeki:20190907165319j:plain

20190714215253 20190714215227 20190714215157

20190714215132 20190714215108

三保半島の港からサイクリングを楽しみながら、三保の松原にやってきました。

 

「浜に居て山を想う」

なんだか深いものがあります。富士山と太平洋を持つ静岡ならではですね。

海や灯台を見つつ海岸まで出ました。

 

清水から普通の道路が通っているので車で来る人が多かったですが、渋滞していたので健脚の方はレンタサイクルで行ったほうがいいかと思われます。

伊豆半島が海の向こうに見えます。

美しいとは思いますが、直前に三陸浪板海岸に行っていたので「おおっ」というほどではありませんでした… 

 

f:id:Ikeeki:20190907164354j:plain

f:id:Ikeeki:20190907164313j:plain

海岸から松原に向かうと、「神の道」という一本道を発見。

一本道を歩いていたら神社がありました。

 

そもそも、三保の松原は天女が水遊びをしていたところ、地元の漁師が衣をとってしまい、

衣を返す代わりに天女の舞をしてもらったという、最低な漁師の、羽衣伝説があります。

また、三保はかつて海から独立した島で、その名残として松原のあたりが海岸より若干高くなっています。

富士山が霊峰として崇められているときには、極楽浄土の再現としてありがたがられたとのこと。

その由縁もあって富士山が世界文化遺産に登録された際に、富士山から遠く離れた三保も世界遺産に登録されました。

ブラタモリの新春スペシャルを見て知りました。

極楽浄土は平泉でも見ていますが、自然が作り出したとなるとそれは当然わけが違いますね。

ikeeki.hatenablog.com

 

f:id:Ikeeki:20190907170419j:plain

※この写真は別日に、飛行機内から見た三保半島の写真です。

残念ながら富士山は曇っていて隠れてしまいました。

 

たしかに、形を見ると島だった面影はありますね。 

江の島や函館のように、1つの海流がもともとあった島にぶつかって別れたあと、それが島沿いを流れて再度ぶつかったあたり(三保では東海大学がある折戸付近)に砂が堆積し、陸繋島と自然堤防を備えたトンボロ、という今の姿になったそうです。

確かに折戸のあたりを自転車で走りましたが、坂になっていてきつかった記憶があります。肌で地形を感じるとはなんと贅沢なことでしょう。

日本の地形って面白いですね。

 

とはいえ富士山は曇りの上、工事していたので残念でした。

じゃあ帰るかと思っていたら…

20190907163844 20190907163820 20190907163755

何と晴れていました!

湾になった海の色が大変美しい。

大慌てで港の方へ戻ります。

 

20190907164102 20190907164039 20190907164005

流石に松原に戻ることはしませんでしたが、大変美しい富士山を見ることができて大満足。

たくさんの船と富士山、静岡に来てよかったなあというお気に入り写真に。

清水港らしい風景が見られたので、粘って良かったです。

 

ここから清水港まで陸路でレンタサイクルで戻り(ギアなしできつかった…)、返却。

上り列車に乗って東京に帰りました。

 

20190907164207 20190907164143

東海道本線から富士山がくっきり見えました。

富士市の石油・製紙工場や住宅街と富士山。

家から富士山が見えるとはなんと贅沢なんでしょうか。

静岡県、いいところですね。

 

おまけ

20190907164121

帰りは沼津から御殿場線を回って帰りました。来たのはロングシートで車窓を見るのには不向きでしたが、3両編成だったので文句は言えません。

富士岡辺りから富士山がはっきり見えるように。裾野で多くの方が降りて行ったので撮影しやすくなりました。 

というより、東海道線から見るか、御殿場線から見るかで富士山の冠雪した姿がここまで変わるんですね。

20190907164243

寝落ちして気付けば国府津付近、

夕方になって富士山の美しいシルエットが。

地元の方もスマホから目を離して、富士山を見る・撮るという光景が見られました。

***

世界遺産で日本の名峰の富士山、その美しさは伊達じゃない。

霊山として古くから崇められ、

竹取物語で初めて「不死の山」として書かれて、

浮世絵など日本芸術にも古くからたびたび描かれる富士山。

まさに日本の宝といえるでしょう。

これからも自分の目で見て行き、もっとたくさんの光景を目に焼き付けていきたいです。

 

 

↓その他おすすめ記事

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

【海の中の電柱】夕方の東京湾・江川海岸に行ってきた

20190813220835 20190813220751

海の中に整然と並んだ無数の電柱。

満潮時に行くとここまで衝撃的で壮観だなんて。

ここは東京湾、千葉県の江川海岸です。

20190813220856 20190813220814

20190813221035

木更津の干潟は盤州干潟といわれ、干潮時の潮干狩りが盛んな東京湾

当然満潮時は海水が張っているので潮干狩りはできませんが、

魚などはいっぱいいるので、夜中には密漁者も現れます。

 

密漁防止のため建てられた小屋に夜中明かりをつけるため、電気を流すための電柱のようです。

しかしいまやセキュリティーとして、防犯カメラで遠くから24時間安全を監視する時代。

わざわざ、海上という停電などハプニングがあったら危険な小屋に、誰かが閉じこもって見張る必要はなくなりました。

電柱の役目はなくなったため、解体も検討されているとのこと。

 

ちょうど満潮なので行ったときは完全に水没していましたが、

干潮時は途中までは地面がむき出しになるので、潮が引いている時を見計らって電線を取り付けることができたのでしょう。

 (言うまでもないですが、網や柵で囲まれている先は立ち入り禁止です)

20190825173442

20190813221124

20190825094140 20190813221214

 夕方ということも相まって幻想的な雰囲気でした。

割と有名なはずでしたが、着いたときにいたのは僕たちのみでした。

京葉工業地域の東京湾にもなかなかいいところもありますね。

 アクアラインの木更津インターからほど近いので、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。

ちなみに。

 

地図を見てもらえばわかると思いますが公共交通機関で歩くと、

最寄りの江川バス停から20分ほど、内房線巌根駅から50分ほどかかります。

友人と一緒に行ったのでまだ楽しかったですが、

一人で歩くのは精神的にもしんどいです(笑)

20190825173659 20190825173550

歩道がある広ーい街道もあれば、

路側帯もないのに車が隣をかっ飛ばす恐ろしい小道もありました。

海岸には無料駐車場もあるし、車で行くのがベターでしょう。

20190825173820 20190825173743

 20190825173327

陸上自衛隊の駐屯基地があったり、

こんな参道(?)の隣が草地になってる神社があったり、

意外と見どころはありました。

太陽が見えた(雲に隠れて直視できた)だけで本当に喜びました。ある意味、その時点で疲れてたんだろうな…

20190825173515

帰りはカニやヤドカリにお見送りしてもらいました。

ここから500mほど歩道のない車道が続くので本当に気を付けてくださいね()

***

 さて、この衝撃的な電柱群はいつから解体工事が始まるのか。はたまたずっと残るのか。
いずれにせよ、今後首都圏では貴重となる海に沈む電柱。

行くなら今のうちかもしれません。興味を持ちましたら是非。

【自分探し?】旅に出ると旅をしている意味を考えてしまう

変わったね。成長したね。と言われる時はいつも旅をした時でした。ナルシストっぽいですが、事実、自分自身変わったなって思う時もあります。

 


高校卒業後初めての一人旅で衝撃を受けた陸前高田、ボランティアで何かを得たいと思いつつ何もできず歯がゆかった熊本、心から鉄路の復活を喜んでいた三陸鉄道の地元の方々との出会い。

一方で大阪でチンピラに絡まれた朝の道頓堀、台風のせいで涙のキャンセルをした幻の山陰旅、ホテルが予約されていなかった越後湯沢、中国語の検定や大学のゼミや勉強で旅に出られず悶々とした日々。

 


旅は必ずしも全ていい思い出であるとは言えないかもしれませんが、

私の中では全てが大切な思い出になっています。

 


疲れた、寂しい、怒り苛立ちなどの感情もあったはずなのに、

面倒くさがりで飽き性なはずなのに、

写真で見ればすむはずなのに、

友達を怒らせたり困らせたりしたはずなのに、

 


それでもなぜか僕は旅をしています。

 


東京では会えないであろう地元の方と会ったり、その土地でしか食べられない食事とか、観光地になっていない美しい景色を見たり、同行した人と話したり喧嘩したり…

旅自体が普段できない経験ができるだとか単純に楽しいというのももちろんありますが、

人を変える魔力を持つ"旅"に畏敬の念を抱いているからでしょうか。

 


趣味的要素でも旅が大きなウェイトを占めていますが、そうなったのも最近。

昔大好きだった鉄道は見てるだけで幸せだったのに気づけば鉄道撮影をするように変わり、それもいつしか鉄道旅、乗り物旅に。変わって鉄道に飽きて観光地巡り、まち歩き、城巡り…

自分が好きだった趣味はこのような変遷を遂げたのだから、もしかしたら旅というジャンルは大学のみの付き合いかもしれません。

 


それでも構わない。

旅の道中で自分自身を見つめ直し、また旅に出ようと決めたり、旅をやめると決めたのは自分。

計画と変わった時どうするか考えたりする時間は確かに苦痛だけど、

誰に何と言われようと旅が大好きなんだから。

 


一体いつからどうしてこんなことを考えるようになったんだろう。

私ももうすぐ20歳になりますが、一体どんな人間になっていくのでしょうか。そんなことばかり考えてしまいます。

家にいてボケっとしていたって何も考えないのに、見知らぬ土地にいると自分のことを考え出すなんて。

旅って不思議ですね。これこそ旅の醍醐味だと思いますが。

 

 

 

最後に、私が大好きなミスチルの有名曲から大好きなフレーズを。悩みとしては人間関係のそれではないですが、聞いた時これだ!!って思いになりました。

 


優しさだけじゃ生きられない  別れを選んだ人もいる

再び僕らは出会うだろう  この長い旅路のどこかで

Mr.Children Tomorrow Never Knows

 

 


たとえ別れた(ここでは趣味を止めることでしょう)としても人生という長い旅路の途中でまたいつか出会うだろうという歌詞。

まさにピッタリじゃありませんか。

旅路の中でたまたま聞いてミスチルが好きになったきっかけ。

大切なものと別れても、きっとそれは成長といえるのではないでしょうか。

 


旅行は行けるならたくさん行きたい、ボランティア活動もしたい、恋愛も本気でしてみたいし、読書の世界にものめり込みたい。最近ハマっている中国語の勉強もしてHSK4級とって中国台湾にも行きたいし、ブログも書いて自分の意見を書き連ねてたい。面倒だけどバイトをして(最近辞めてしまいました)中々出来ない職種の仕事もしたいし、大学生だし少しは親孝行を始めたい。

 


やりたいことが多すぎます。なるほど、悩んでいる暇などありませんね。今を本気で生きるだけですね。

 


結論無くてつまらないなあと思われてしまったかもしれませんが、自分の本心を吐露する機会も少ないのでここで書いてみます。自分の考えを客観的に見ることもできますし。

今後は旅行記以外でもブログをもっと活用していきたいですね。

 

↓私にとって、特に思い入れが深い旅の記録です。よろしければご覧ください。

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com


閲覧ありがとうございました。

文京区・白山神社を駆け足訪問

f:id:Ikeeki:20190526110715j:image

巣鴨・水道橋から都営三田線で5分、白山駅
白山神社にやって来ました。

f:id:Ikeeki:20190516174837j:image

f:id:Ikeeki:20190516174903j:image

白山というと、実はかなり坂がきつい所です。

普通の狭いだけの一般道路なのに手すりがあるなんて。

このあたりはかつて川が流れていたそうで、河岸段丘になっています。

東洋大学がこの近くにあるのですが、

河岸段丘の上にキャンパスがあり、白山通り側の建物は道路からすんなり大学内に入れますが、

本駒込駅から入るときは都道455号線側の標高が低いので、一旦坂を上ってエスカレーターを降りて構内に入るとか、

南北に場所が離れた棟は一階の標高が全く違うと、地理ヲタとしてはかなり面白いです笑

 

f:id:Ikeeki:20190516175917j:image

f:id:Ikeeki:20190516175104j:image

f:id:Ikeeki:20190628124417j:image

かなり立派な本殿。

孫文が腰かけた椅子もあり、ここで革命を起こすことを決めたのだとか。なかなか面白いです。 

f:id:Ikeeki:20190516175558j:image

そして、なんとなく荘厳な神社には似合わない、コインパーキングが…

 

f:id:Ikeeki:20190516175940j:image

 

f:id:Ikeeki:20190516175140j:image

富士山…といわれてるらしい。6月中旬にはアジサイまつりがやっているそうです。

残念ながら行った日は終わっていました。

またいつか行ってみようっと。

 

f:id:Ikeeki:20190516175203j:image

f:id:Ikeeki:20190516175218j:image

 

神聖な、でも不思議な雰囲気でした。

色々駐車場とか、急坂など面白いものが目白押しでした。

こういう雰囲気が、大好き。

都内にも面白いスポットはあるもんですね。

【何もない】高麗村石器時代住居跡

f:id:Ikeeki:20190616232411j:image

西武高麗駅の近くにマイナー観光地があるとのことで行ってきました。

 高麗は鉄道撮影や秩父への通り道で来たことはあっても、観光で来たことはありませんでした。

20190527220255

埼玉県の史跡というと、ワカタケル大王の剣が出土した稲荷山古墳が1番有名かもしれませんが、

西武線高麗駅のすぐ近くにもあります。

 

20190527220246 20190527220239

え、どこ?って感じでしたが、どうやらこれがそれらしいです。

歴史好きの方でしたらこれを見て想像できるのかもしれませんが、

私にはかつての人の生活を感じることは出来ませんでした。

20190527220232

ここはかつての環状集落だったそうです。

環状集落とは、中央に空間を作って周りに住居が立ち並ぶという形の集落です。

4500年前の縄文時代の環状集落と推測されています。兵庫県の新宮宮内遺跡に行ったことがありますが、あちらは弥生時代

 

全国に7つしか見つかっていないというのは驚きですが、

なら新石器時代って言ったほうがいい気が…

 

 

20190527221051

20190527221100

記念スタンプと、それを守るかわいらしいミニ住居(笑) 

こういう遊び心、好きです。

 

史跡としては物足りない感がしますが、かなりマイナー観光地という印象が強かったです。

そして何より、山の中とはいえ、首都圏の埼玉に縄文時代の家跡が残っていることの方が驚きました。

近場のあてのない旅もいいものですね。

 

***

20190527221043

おまけで、高麗行きに乗り換えた飯能駅

西武池袋線はこの駅が拠点となっていて、高麗や秩父へ向かう秩父線の始発となります。

まあ秩父は山ですから、本数が少ないのは当然ですが。

Laviewが転線しながら池袋へ去っていきました。ちなみにこれの左側へ向かう線路がありますがそれは秩父方面の線路です。

 

宮前湖にムーミンバレーパークたるものができたため、木目調のムーミン仕様になっていました。

西武公式でもムーミン谷をアピールしていて、力を入れているのが伝わってきます。

ムーミンというと俺が受験した2018年度センター地理しか浮かばない…)

 

飯能に来たのも久々だったので街を歩きたかったのですが、

あまりの暑さと人混みで断念しました。また行こう。

それにしても、6月なのに30℃超えの猛暑とか、まち歩きには向かない季節になっちゃいましたね(^◇^;)

田園調布の高級住宅街に酔いしれる

先日、田園調布に行ってきました。

東急目黒線東横線の急行が止まる駅で、日中は目黒から約10分、渋谷から約12分、横浜から約20分で着くので都心から近いです。

20190518144839 20190518144832

東京都・大田区の最西端に位置して、世田谷区や神奈川県川崎市と隣接する地域。日本有数の高級住宅街として有名です。

それにしても、こういうところに行ったことはなかったので、降りた瞬間の雰囲気に驚きました。

 

20190518144826 20190518144819

20190518145905

田園調布という街は約100年前の1918年に田園都市株式会社によって開発が始まりました。

田園都市構想(Garden Cityの和訳)で作られた街。

中堅サラリーマンが購入できる価格設定、欧米的な放射状の街路、緑あふれる街路樹付きの歩道。

今でこそ人気になりましたが、分譲しにくく斬新な土地の形や当時はまだ細々とした木だったので、はじめのうちはなかなか受け入れられることはなかったそうです。

開発当初は人気ないけど今や…って街は意外と多いです。


朝だったりカーブが多く、そもそも交通量が少ないこともあってか、大変静か。
そして何より緑溢れていい街でした。こういう木や公園が多いってのはとても街として地味だけど重要なところですよね。

観光する人なんていないので、相当浮いてしまいました← 

20190518145913

突如現れる急な坂。

この辺りは台地のため地盤が強い土地なんです。

地盤が弱い埋め立て地や土地を崩してニュータウンを作り住宅地を作る現在、これも人気の秘密かも。

この地震に強いという土地を生かして、このあたりは関東大震災のころ震災後にすぐ出動できるよう軍隊が住んでいたそうです。

20190518154311

宝来公園にやってきました。

緑あふれる公園で、古墳があるようです。

20190518154318

そして、武蔵小杉の街並みが見えました。

神奈川県ですが、近くに多摩川が流れているため遮るものなく、遠くからでも見ることができます。

武蔵小杉も散策したので後日投稿しようと思います。

20190518145858 20190518145850

 電線の地中化が進む東京において、電柱・電線が張り巡らされるというのは何となく違和感がありますが、

これはこれで生活感があるといえるかもしれません。

 

そんな田園調布ですが、100年という時代遅れ?の歴史は今の時代にはそぐわないだとか、高級すぎて住宅の買い手が見つからない空き家放置問題、さらに少子高齢化問題もあってか、

残念ながら今の時代には高級住宅街としては少しずつ陰りが手来ているようです。

近くに近年急成長した武蔵小杉という、今の時代にあった街があるのも原因かもしれません。

 


もちろんこれはどこの市区でも同じだと思いますが、

よりよい街にしていこうとする努力を怠ったら、街の魅力が徐々に下がっていってしまうと思います。

落ち着いた高級住宅街といえど、子供や若い人などの街の活気を残すことは大切。

老若男女問わずいい街にしていくようこれからも頑張ってほしいです。

 

こういうまち歩き、発見があってやはり楽しいものです。 

多摩川浅間神社や駅の東側に行けなかったのが心残り。

また機会があったら行ってみようと思います。(ちゃっかり後日追記してるかも笑)

 

参考にしたサイト

news.yahoo.co.jp

 

service-news.tokyo

 

yuumi3.hatenablog.com

浄土ヶ浜には自転車で行くもんじゃない

20190419102859 20190419102846

20190419102853

20190419102840

期待したような朝焼けは見ることできなかったけど、

見てるだけで息をのむような絶景でした。

やっぱり東北は美しい。そう実感した朝。

早起きして行ってよかったです。

 (2019/3/25 岩手県宮古市浄土ヶ浜

***

ちなみに、宮古駅前のホテルでレンタサイクルを借りてここまで来たのですが、

カーブに、急な上り坂や下り坂があり非常に危険。

自転車のスピードが速すぎて転倒してしまい、擦り傷が2週間くらい治らなかったのは黒歴史です(^^;

長ズボンじゃなかったら危なかった…

 

おまけに霊鏡僧が「さながら極楽浄土のごとし」と称賛して浄土ヶ浜という名前の由来となった、奥浄土ヶ浜まで行きたかったのですが近道はなぜか車両進入禁止。

自転車転倒で心折られてたので、迂回することなくUターンして帰ってしまいました。

また来いってことですかね(苦笑)うん、また行こう。

皆さんはお金をケチらず、ぜひバスやレンタカーで行ってみてください←

 

20190419103223

1時間2分のルートの途中にある常安寺です。このルートは少なくとも通ってはいけません。

車が通れない超急坂がたくさんあるので、下手なジェットコースターより何十倍も怖かったです(笑)

 

以上、トウホクのたびびと(自称)の教訓兼雑談でした。

広島城天守閣と、原爆ドーム(平和記念公園)を観察 冬の18きっぷ西日本遠征

f:id:Ikeeki:20190214122056j:plain

今回は広島城原爆ドームの記事を書き上げます。

太平洋戦争に翻弄された都市、広島をメインに書いていきたいと思います。

投稿が遅れまくった年末18きっぷの旅のいよいよクライマックスです。

 

前回の記事はこちら↓ 

 

ikeeki.hatenablog.com

 

広島城原爆ドームへ駅から歩く際は、

広島駅ではなく、1つ西隣の新白島駅が最寄です。しかも、天守閣を見ることもできます。

新白島から行くと広島城天守が見えるところまでは1km弱、原爆ドームまで2kmほど。

一方広島駅から広島城までは1.6km(しかも表門までの距離で、反対側の天守閣は見ることができない)、原爆ドームへは2.5kmあり、バスか路面電車を使うのがベターです。

 

片道200㎞以上の鉄道切符で訪れる場合は発着駅が広島市内になるので、健脚の方は新白島駅のルートをお勧めします。

 

とはいえ、天守閣を見ながらいけるというだけで、新白島からでも到着する時間はほぼ同じですけどね…

f:id:Ikeeki:20190214125043j:plain

表門へ向かう途中で天守閣を見ることが可能です。

広島城は、中国山地から三段峡や可部のあたりを流れる太田川の三角州付近に位置します。

その三角州が市街地なのですが、実は広島駅付近はその外側にあり、市街地から少し外れています。

もちろん広島駅前はかなり栄えていましたが、若干市街地の外れであるということは否めません。

仙台駅や熊本駅と同じ感じですね。

(だからこそ市街地に向けて路面電車や地下鉄が走っているのですが)

広い堀の奥にマンションが立ち並ぶというのが、いかにも都市らしいなと思ったり。

f:id:Ikeeki:20190214125102j:plain

f:id:Ikeeki:20190214125120j:plain

20190410220559

案の定広場となっていて、都心のオアシス的な人々の憩いの場となっていました。

木造のお城を生で見たのは初めてでした。格好いい。

天守の大きさは日本5位のようです。

そして、この広島城なのですが、日清戦争が発生した1894年には中国に近いということでなんと大本営となったようです。 

大本営なので当然天皇が移ってきたそう。天皇が住んだのは奈良、京都、東京だけではなかったんですね。

大本営は戦争終結で終わりましたが、第二次世界大戦終結する直前にも軍の司令部があったそうで。

長野県の松代が太平洋戦争の大本営になりそうだったということは知っていましたが、かつてはここにもあったんですね。

 

www.rijo-castle.jp

 

20190410220546 20190410220537

川沿いに南に進んでいくとヤナギの木がありました。

普通のヤナギ…と思ったら、樹齢370年の爆心地に最も近いヤナギとのこと。

なんと原爆の被害にあったヤナギだそうです。

被ばくしたとは思えないほど立派な木でした。自然の力強さともいえるのでしょうか。

原爆ドームとは川を隔てた対岸にあるのであまり観光客はいませんでしたが、これはもっと注目スポットにしても良いのではないかと思いました。

上の写真の中では一番手前の木がその被災樹木で、それより奥が戦後に植えられた木々、そして原爆ドームとなります。

20190410220528

橋を渡ってみると原爆ドームがありました。

川沿いにはたくさんの方が見学していました。

20190416145049

20190410220520

現在の原爆ドームは、日露戦争などでの軍需品の調達により、国内の市場競争に負けないように製品開発・品質向上・販路拡大といった地域の経済をより活性化させる拠点となることを目的とし、

1915年に物産陳列館としてつくられました。

チェコ人のヤン・レツルが設計し、当時都心部でも木造2階建ての建物ばかりだった広島で大きな注目を浴びました。

1944年までは産業を奨励するだけでなく、博物館・美術館として広島の文化振興をするところでした。

 

1945年8月6日の午前8時15分(18分説もある)に当時の新型兵器の原子爆弾が広島で爆発。

爆心地の地表面温度は3000~4000℃と推定され、町は一瞬で灰に。その時点で14万人もの人が亡くなったといわれています。

しかし、爆心地から160mという至近距離ながら奇跡的に倒壊を免れ、いつしか原爆ドームと呼ばれるようになっていきました。

 

後世に残すという意味で記念物として保存するか、市民の悲惨な記憶を思い出させるうえ倒壊などの恐れがあり危険だから解体するか意見が分かれていましたが、

復興が進み戦争を後世に残す建物が失われていき、

さらに冷戦下で核兵器の悲惨さについて訴え「核兵器のない社会」にしていこうということで、

多くの方の寄付金や署名、努力があって1967年に第一回保存工事が行われ、1996年に世界遺産に認定されました。

 

※広島に原爆が落とされたのは戦争終結のためというより、実際の原爆の威力の実験、アメリカがソ連との対立で少しでも優位に立つためなどの理由が言われてはいますが、とりあえずここでは置いておきます。

 

20190414180312

原爆の子の像です。

この像は、原爆の後遺症である白血病のため12歳という若さで亡くなった少女・佐々木禎子さん。

彼女は千羽鶴を折れば病気が治ると信じて鶴を折り続けていましたが、かなわず12歳という若さでこの世を去ってしまいます。

彼女の行為が世界中に、折り鶴と平和を結び付けたといわれています。

今でも千羽鶴が世界中から届けられて、公園内のいたるところに折り鶴が飾られています。その数1千万羽を超えるとのこと。

中学校の英語の授業でこの物語を読みましたが、こんな純粋な子供の命までも奪う、これが戦争か、とショックを受けた記憶があります。

20190414180303 20190414180254

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉です。日本人なら知らないと恥ずかしいというレベルの常識だと思いますので是非見に行き、暗記することを強く勧めます。

石室には亡くなった被爆者28万人以上の名前が記された名簿が収められていて、

ここに眠る人々の霊を雨から守るため家形埴輪の形の屋根があります。

ところで、この言葉の主語は特定の一個人ではなく、きっと私含む人類全員ですよね。

上から目線ではなく、私たちが戦争という過ちを二度としないようにするという決意の文だと思います。

 

 

20190414180246

 近くには無料の資料館もあり、勉強になりました。

戦争中で貧しいなか人々は必死に生きていて、その人々を無差別に殺すというのは、戦争とは絶対悪だなと改めて思いました。

こんな恐ろしい戦争が70年ちょっと前まであったとはやはり信じられませんでした。

 

20190416145040

爆心地のあたりは完全に街の中。

観光地にすらなっていませんでした。

原爆ドームや慰霊碑ばかりではなくこういうのも本来は残すべきだとも思いましたが…

もっとも平和記念公園とは離れているので、その雰囲気は全く感じることはできませんでした。

www.city.hiroshima.lg.jp

www.city.hiroshima.lg.jp

 

www.city.hiroshima.lg.jp

 

ただ…

ご覧になればわかると思いますが、原爆ドームのまわりはかなり復興していてビルが立ち並んでいるため

戦争が起きたということを理解するのはいささか難しかったです。

世界遺産となり外国人含めて多くの人が見に来ていますが、そこだけ時間が止まったようには見えますが、

戦前と戦後をつなぐ架け橋としてはいささか不十分な気がしてしまいました。

だからと言って、この復興を否定することはできませんし、

では戦争のことを忘れることでしか今の発展がもたらされないのか。

復興とは一体何なのでしょうか。

これは東日本大震災の被災地にも言えるのではないでしょうか。

 

正直、原爆が落とされた広島でさえ戦争が風化していっているなと思いました。

長崎は行ったことないので強くは言及できませんが…

時代が進むにつれて、幸か不幸か戦争の歴史が失われている気がします。

失われた街を改めて発展させたことは素晴らしいとは思いますが、それを忘れてしまうことはよくないでしょう。

 

20190416145031

当時一体何が起きたのか、どんなことが起きたのか、ふたたび起こったら今度こそどうなるのか。

これを忘れては国のため命を懸けた先人たちの死は無駄になってしまうのではないでしょうか。

広島(もちろんほかの地域も)今後もこのような被害があったことは伝え続けてほしいし、自分もこれからも訪れて、学んでいきたいなと思います。

 

最後に、慰霊碑の説明板を紹介して終わりとします。

長いシリーズとなりましたが、閲覧ありがとうございました。

 

 この碑は昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている 

※数字のサイズを半角に修正しました。

 

【戦艦大和】軍港の街・呉を訪れる 冬の18きっぷ西日本遠征V 三原→呉

f:id:Ikeeki:20190205192312j:plain

年末の18きっぷ遠征2日目の記録です。

三原駅から呉(くれ)線に乗車し、海沿いを通って呉を経由しながら広島へ向かいます。

新型車両のLEDには行先や種別のほかに「頑張ろう!広島」と表示されていました。

  

前回の記事はこちら↓ 

ikeeki.hatenablog.com

呉線

f:id:Ikeeki:20190205192126j:plain

f:id:Ikeeki:20190205192544j:plain

f:id:Ikeeki:20190205214602j:plain

三原駅は海から非常に近い所にあるのですが、

呉線は三原を出るとさらに海に近づきます。

東北の沿岸部を旅したことは何度もありますが、車窓から見えるのは太平洋。

島なんてほとんど見れなかったので、瀬戸内海に浮かぶたくさんの島々を見ながら車窓が移りゆくのは興奮しました。

改めて、日本列島って実はかなり広いんだなあ、しかもそれは実際に見てみないとわからないんだなあと痛感しています。

 

 

f:id:Ikeeki:20190205220905j:plain

呉に到着。かなり大きな駅で客の入れ替えが発生、多くの乗降がありました。

駅舎もデパートが隣接してすごく立派なのですがうっかり撮り忘れました…

そして三原と同様、降りたら潮の香りが漂ってきて、海が近いということをはっきりと感じました。

f:id:Ikeeki:20190205220032j:plain

駅からの連絡通路を通って大和ミュージアムへ。ゆめタウンの中を通るルートですがこれが正規ルートのようです。

船や錨(いかり)のイラストが床に描かれ、かわいらしい雰囲気です。

大和ミュージアム

f:id:Ikeeki:20190205221147j:plain

もう少しで海、というところで大和ミュージアムと、潜水艦あきしおが見えてきました。

本当はいろいろ行きたかったのですが、時間の都合上じっくり見学したのは大和ミュージアムのみです。

戦艦・「大和」(やまと)をテーマにした博物館。大和くらいは名前を聞いたことあるという方がほとんどではないでしょうか。

 

f:id:Ikeeki:20190205221308j:plain

入館するといきなり大和の模型がお出迎えしてきました。

 

なんだ模型かと侮るなかれ。
本物の大和は長さmですが、この模型は1/10のサイズの26.3m。

設計図面や当時の写真、海底調査のビデオなどを何十時間も見て、製造。

しかも模型とはいえ徹底的に作るということで、

船体を作るにあたって現在も軍艦を作っている三井玉野造船所に発注し、船体の素材を実際の護衛艦と同じものにし、

f:id:Ikeeki:20190216221748j:plain

甲板の木材も、当時は国産の台湾ヒノキを使用していましたが(1895年の下関条約によって、当時は台湾も日本の領土になっていました)、

木目をヒノキの10分の1に詰めて同じ縮尺にするべく、暴れやすいタモという北海道の材木を使用。

大きさだけにこだわるなら船体を木造にしたり、同じヒノキを使うこともできたはずですが、あえてそうせずに真剣に本気で作ることによって来場した人に感動してもらうことが目的のようで、これが人気の秘密です。

***

さて、ここからは博物館で見た内容を書き連ねていきます。呉の歴史が主です。

 

呉市横須賀市舞鶴市佐世保市とともに、明治時代に日本の海軍の機関である鎮守府がおかれ、軍港四市といわれた。呉の鎮守府開庁とともに、艦艇建造を国産化するために海軍工廠や関連工場が次々と建設され、全国各地から人が集まるように。

ワシントン、ロンドン会議での軍縮条約をきっかけに、いったんは量より質の高い造船をするようになったが、

軍縮条約が失効すると次は世界最大級の巨大戦艦・大和の設計を極秘で開始するように。

 

翌年1941年(昭和16年)に太平洋戦争が開始。

その年に世界最強といわれる戦艦・大和が建設され、日本一の海軍工廠を有する町として発展し、その年の人口は40万人を誇ったという。

しかし、当時は飛行機の時代。戦艦は支援任務が主であった。

f:id:Ikeeki:20190216222956j:plain

wikipediaより、ミッドウェー基地


しかし、1942年のミッドウェー海戦で大敗すると、日本の戦況は徐々に傾いていく。

呉も同様で、呉では失った空母の建設や戦艦の造修に追われるようになり、航空機中心の時代になるにつれて航空戦艦への改造も行われるようになっていった。

そして45年6月の沖縄戦のころに大和は沈没してしまう。

呉への空襲も行われるようになり、1945年の終戦時にはあたりは焼け野原になってしまった。

 

当時の人々は軍艦の解体や、占領軍の求めた職を食いつないで生活を支えていたというが、 各国の占領軍の撤退やドッジ不況というデフレのためにさらに多くの失業者が生まれた。

しかし朝鮮戦争の際、呉は国連軍の兵廠基地となりいわゆる軍需景気で復興していった。戦争終結後は、高い技術者がいることに狙いをつけて造船・製鉄などの企業誘致していった。

f:id:Ikeeki:20190216223412j:plain

 

***

国連軍撤退後の用地は自衛隊用地や企業用地に生まれ変わって、新たに呉を支えています。 

現在の呉は、交通がやや不便で、横須賀や佐世保と異なり米軍は入らなかったためか、地域に住民がずっと定着する傾向にあり、街の雰囲気が戦前の明治時代の海軍の街という雰囲気があまり崩れずに今も残っています。

 

f:id:Ikeeki:20190216221641j:plain

  その一方で最先端技術を持ち、ジャンボジェットのエンジンなど重要な部品も呉の工場がほとんど作っています。

 また、300mを超える超大型の貨物船が呉に停泊していて、今では多くの荷物を一度に輸送する船を作るように変わっていました。

 伝統的な街の空気と世界的な最先端技術が共生する呉。いったん解体した海軍の技術はいまも地元で生きているということがうかがえました。

 

  このように、大和ミュージアムは正しい歴史を知ることで、平和の大切さや現在の呉の科学技術のすばらしさを伝えている博物館です。決して戦争賛美なんかしていません。 

 ちなみに、歴史や特色を通して我が国の文化・伝統を語るとして、呉含む旧軍港四市は日本遺産に認定されました。

 

 

f:id:Ikeeki:20190207215228j:plain

これまた戦争に使われたものの展示室。

零戦と特殊潜航艇。

皇紀2600年(昭和15年)に作られたからゼロ戦と呼ばれたそうです。皇紀なんて本を読んで初めて知りました…

第二次世界大戦からは飛行機での空中戦がメインとなっていきました。その中で日本が作った飛行機。 

工業が発達してい高い戦闘能力、航続距離の長さなかった日本が作ったのですが、飛行機は世界一ともいわれたそうです。

 

 

特殊潜航艇は、航首に600㎏の炸薬を装備し、両脇に抱えた魚雷発射後に目標の鑑定に突入する「水中特攻兵器」として使用されました。

ほかにも、人間魚雷の「回天」や、飛行機に使われたエンジンなどもありました。

 

特攻についてもいろいろ思うことはありますが、とりあえず今回は保留しておきます。

 

 ***

おまけ

20190403123528

おまたせ軍港名物、海軍カレー

ずっと海の上にいると曜日感覚がずれてしまうため、毎週金曜日はカレーにして曜日を忘れないようにしていたそうです。

てつのくじら館に食堂があったのでそこで食べました。 

観光地価格でしたが、おいしかったです。

 

20190403123518

こちらは江田島へ行く船。

江田島も呉の歴史を語るのに外せない場所。行ってみたいものです。

 

まとめ

「大和」は極秘で製造され、本来世界一という性能を持ちながら、十分に能力を発揮できずに、沖縄特攻に駆り出されて存在を知られることなく沈没、という悲劇的な最期を迎えたからか、日本人にとっては兵器というよりは「神話」として受け入れられたそうです。

実際、沖縄戦では多くの陸軍兵士や市民が米軍に対して、絶望的な戦いをしていました。

「大和」(海軍)は沖縄に行っても無駄だとはわかっていながらも、

沖縄の人たちを見殺しにはできないということから沖縄へ特攻に行き、乗組員3000人以上の方とともに沖縄のため殉死したともいえます。

まあ、今まで大和を使えば勝てるはずのチャンスをみすみす逃したこともあったそうなので、海軍自身がその性能を殺したともいえるでしょうが…

 

呉は海軍の街として有名ですが、今の日本が誇れる素晴らしい技術があります。

戦争をした先人たちがきっと将来の日本のために、一生懸命という文字通り死ぬ気で戦ってきたからの成果だと思います。

日本のやってしまったことを知らずに戦争について語ることはできないでしょう。

だからこそ私たちは、戦争を忘れないために学び、戦争を二度と繰り返さないようにしていくことが必要ではないでしょうか。

またいつか再訪してみようと思います。

皆さんもぜひ訪れてみていただきたいところでした。

↓公式リンク

yamato-museum.com

 

展示室開館時間:9:00~18:00(入館は17:30まで)

休館日:火曜日

入館料:大人500円 高校生300円 小中学生200円

 

 

次回は原爆が投下された地、広島の記事を紹介します。是非ご覧ください。

というか投稿かなり遅れててすみません。平成中には終わらせます。

 

~参考文献など~

・「呉・江田島歴史読本 読む・見る・歩く おとなのための街歩きガイドブック」2013年 別冊歴史読本

・「永遠の0」2009年 著・百田尚樹

www.kyugun.jp 

【雪化粧の弘前城】弘前城雪灯籠祭りに行ってきました

f:id:Ikeeki:20190226113213j:plain

現存12天守の1つ、弘前城青森県弘前市という雪国にあります。

弘前というと存在感が薄いというイメージでしたがそんなことはありませんでした。

2月の3連休に雪灯篭祭りなるものが開催されているときに行くことができたので、今更ながら軽く書き留めておきます。

 

f:id:Ikeeki:20190226121817j:plain

城の最寄りのバス停付近から岩木山を望む。

岩木山から流れる岩木川も濠の役割を果たしていたため、地方の外様大名としては、相当規模の大きい城でした。 

 

1590年に、津軽為信津軽地方を統一・領有。

その後、徳川幕府が成立した後も外様大名の一人として、高岡(現・弘前)領有を許され、新たな街づくりをすることに。

本州最北端ということで防衛拠点として重視するため、城の築城許可が幕府から出たので城を作ることを決めたそうです。

こうして1611年、2代目の信牧が高岡城という名で、城が築城されました。その後天守閣が燃えたこともありましたが1628年に再建、その際に高岡城から弘前城と改称されました。 

 なお、1871年明治4年)の廃藩置県弘前県は青森県となり、県庁を青森に移しました。 

f:id:Ikeeki:20190226113716j:plain

f:id:Ikeeki:20190226122526j:plain

想像していたよりはずっと小さい印象でした。

 

濠側の東・南両面から見える側(写真上)には鉄扉を付けず、

1、2層にはその中央に張り出しをつけ、切妻破風・石落としを設けるなど、古形式を特徴としています。
また、少しでも城を大きく見せるため2層目、3層目となるにつれて、1層の5間×6間と比べ各一間ずつ小さくなる層等式の建築としています。

一方で、本丸内側から見た北・西両面(写真下)には破風も狭間も無く、採光を考えて窓も大きくされています。

 

 天守閣を違う角度から見ると形が全く異なるなんて、不思議なお城ですね。

f:id:Ikeeki:20190226121736j:plain

夜になり真っ暗になりました。御覧の通り、多くの方々が。

3連休かつライトアップされているとはいえ、ここまで来るかと驚きました。

弘前駅から市内を循環する100円バスに乗車したのですが、弘前城付近で降りる人の多くが韓国人などアジア系の外国の方ばかりでびっくり。

普通の路線バスもあるので17時で運転終了してしまいましたが、増便してもよかったんじゃないかとさえ思ってしまいました。

 

ちなみに、天守のあった本丸の石垣は崩落防止工事のため、その上にあった天守をそのまま別のところに動かしています。つまりこれは工事期間中の仮の姿。

やはり本来の石垣があるかないかでは大違いです。

それにしても、天守を丸ごと運ぶなんてすごい技術だなあ… 

丸太みたいなものを天守の下に敷いてコロコロ動かしたそうです。言葉で言うとかわいくなっちゃいましたが(笑)

弘前城は豪雪地帯の長い時代の中ですごい歴史をたどっているんだなあと改めて実感。

やはり名城ですね。

2021年度に工事が終わる予定だそうです。

f:id:Ikeeki:20190226115822j:plain

濠や石垣に積もった白い雪、そして城、櫓は映えますね~。大変綺麗です。

それにしても、今年は暖冬だったそうですが雪がたくさん積もっていました。

この翌日に行った五所川原を含めてこれで例年より少ないとか、恐るべし、津軽

 

20190402111203 20190402111153 20190402111144 20190402111135

そして、弘前城は桜の名所としても知られています。

そこで桜の木に積もった雪を花に見立てて、満開の桜が冬に見られるようにしようとライトアップをしていました。

「冬に咲くさくらライトアップ」

冬の雪が積もった夜という、観光面ではなかなか敬遠されがちな状況ですが、それを受け入れて打破しようと計画し実行するとは、素晴らしいですね。

 

残念ながら行った日は雪が少なくて満開の桜が咲いているという感はあまりなかった
ですが、美しいもので。

主催者の方によると、個人・家族旅行のみならず、団体のツアー客も大勢来たとのこと。

寒い冬に弘前に来てもらうきっかけの一つになったということですから、

クラウドファンディングで少しですがお金を出してよかったです。

www.hirosakipark.jp

 

konantetsudo.jp

 

*** 

弘前にいた時間はわずかでしたが、大変楽しい時間を過ごせました。

弘前城のみならず、西洋のハイカラな洋館、

さらには4月には弘前さくらまつり、8月にはねぷた祭り、そして冬には弘南鉄道のストーブ列車など、興味深いところがたくさん。

弘前は季節問わず楽しめそうですね。また訪れてみたいです。 

 

【祝・三陸鉄道全線開通】2019/3/24 三鉄開通初日に行く復旧区間(釜石→宮古) 復興応援と被災地視察の途中下車の旅

20190327115424

 2019年3月23日。

 東日本大震災津波被害で約8年もの間ずっと運転を見合わせていた三陸地方の鉄道が復活しました。

 三陸鉄道リアス線。

 盛駅(大船渡市)~釜石駅(釜石市)~宮古駅宮古市)~久慈駅久慈市)までの総距離163.0㎞という、第三セクターでは国内最長の路線です。 

 

東日本大震災後の岩手県三陸鉄道JR東日本の鉄道について

 御覧の通り、岩手県をほぼ縦断します。

 三陸地方の鉄道は東日本大震災津波でほぼすべて壊滅。

 岩手県沿岸部では被害が比較的少なかった、久慈~八戸(青森県)はJR八戸線が、盛~釜石と宮古~久慈は第三セクター三陸鉄道が開業していましたが、

JR大船渡線気仙沼線の盛~陸前高田気仙沼宮城県)~柳津(宮城県)と、当時JR山田線の釜石駅~宮古駅までの55.4㎞は震災発生時からずっと不通のままでした。

 JR東日本津波被害を受けた気仙沼線大船渡線の柳津~気仙沼陸前高田盛駅間は鉄道の復旧では採算をとれないとして、沿線の市町村と協議のうえで鉄路復旧は断念。BRT(鉄道の代わりのものですが、実質路線バスのようなもの)という仮復旧にしました。

 

 ※今回の震災では例外的な災害復旧支援制度が適用され、路線存続をする場合は実質的にほぼ全額国が復旧費を負担するという特別な措置が取られましたが、

適用されたのは赤字会社だけで、首都圏を持つ黒字のJR東日本には適用されませんでした。JRが断念したのはそれもあるかと思います。

国鉄で大失敗したからって話を聞いたことがありますが、国がインフラに消極的なのってどうなんでしょう…

20190327221803

 (↑大船渡線BRT)

 

 その時JRは釜石~宮古もBRTに転換しようかと提案しましたが、沿線の釜石市大槌町・山田町・宮古市は地形面などからこれを拒否。

 そこでJRは鉄路の現状復旧をしたうえで、三陸鉄道に移管することに提案を変更しました。

 沿線の4市町も三陸鉄道もこれを承諾し、2015年3月に復旧工事が開始されました。

  こうして試運転を重ね、3月23日についに全線復旧となりました。

 

 さて、こういう説明はこの辺りにして、旅の記録を書き連ねていきます。

 気楽にお楽しみいただけると幸いです。

***

盛駅出発!多くの地元の方の歓迎とお見送り! 

 2019/3/24(日)

 盛730着-805発→大槌919-1118→浪板海岸1128-1242→岩手船越1253-1502→陸中山田1511-1709→宮古1750

20190327102344

 朝の盛駅は大雪。

 二日前まではかなり暖かかったものの、この日は風も冷たく大変寒かったです。

 8年前の震災の日も同様に雪が降る寒い日だったそうで。三寒四温という諺がなんだか皮肉っぽく感じました。

 そんな寒い中でも、盛駅8:05発の久慈駅行きが盛から初の直通列車ということで、朝から乗車・撮影・見送りする方がたくさん。

 

20190327102336

 送り込み線から2両編成の久慈行きがやってきました。

 盛行きは1両だったのでわざわざ増結したようです。

20190327102328

20190327113658

 駅で待っているときに観光協会の方から、かもめの玉子という名産品をいただきました。

 食べたことなかったですが、大変美味しかったです。ありがとうございました。

 もう少し待っていたら郷土料理のまめぶ汁も食べられたのでしょうか?またいつか食べに行きましょう。

20190327113650 20190327113645

 出発式で運転手さんが花束を受け取り、いよいよ発車。

 地元の方や、NHKが取材に来ていて、盛大にお見送りしてくれました。

 本当に多くの方にお見送りをしていただきながら、盛駅を定刻で発車。

 この時点で、多くの方の期待を乗せてるんだなと実感しました。

20190327115404

20190327115354

20190327113638

  こんな活気は盛とか釜石とか、主要駅くらいだろうと思っていたら、屋根のない無人駅でも多くの方がお見送りに来ていました。

 駅はどこか忘れましたが、とにかく多くの方が漁で掲げる大きな大漁旗や、駅で配っていた紙の小さな旗や手を振って見送っていただきました。

 というか、こういう小さな駅で見送るってことは絶対地元の方ってことですよね。

 復旧まで時間はかかりましたが地元の方々がここまでよろこんで歓迎するとは思っていなかったので、涙が出るほど胸が熱くなりました。

  子供がすごく寒そうにしてたけど…(笑)

20190327121631

 吉浜湾。

 リアス線では意外とこのように障害物もなく海が見渡せる場所は少ないです。

 三陸では小石浜(三鉄では恋し浜駅)を筆頭に、ホタテやホヤの養殖が盛んです。

 あいにくの曇り空でしたが、ここから徐々に天候が回復してきました。

20190327121622

 釜石が見えてきました。

 釜石は日本で初めて製鉄をした街で、製鉄が大変盛んな街です。

 沿岸部ながら駅周辺はかなり復興が進んでいるなあと思いました。

 

 いよいよ復旧区間!ですが、非常に多くの方が乗車してきたので残念ながら車窓の撮影は困難に。

 

20190327121609

 唯一撮れたのが両石駅。 

 南線よりもさらに多くの方が手を振ってくださったのが印象的でした。

 

大槌駅、大槌城から大槌町の俯瞰

20190327123739 20190327123730

 大槌駅で途中下車。

 10時から記念式典が駅前で行われるそうですが、時刻は9時過ぎということで全然人がいませんでした。 

 待合室にこもっている人を横目に、山の上にある大槌城址へと向かいます。

20190327121600 20190327121552

 20分ほどで山頂の本丸跡へ。

 リアス式海岸ということで湾になっていて、町自体が山や川に囲まれているということがよくわかりますね。適当な考えですが高台はたくさんありそうです。

 しかし、近くを流れる大槌川・小槌川を遡上する津波や、6mもある防潮堤は超えないだろうという油断も相まって、住民の方々は地震後に高台に逃げるのが遅れたそう。

 当時の町の人口の約10%を占める1200人以上が死者・行方不明者となってしまいました。

 当然津波は恐ろしいということは誰でもわかると思いますが、住民の慢心や油断が東日本大震災の被害をさらに大きくしてしまったのではないでしょうか。

20190327173541

 一方、駅の反対側は御覧の通り、特に大槌川沿いでかなり家が密集している印象にあり、驚きました。

 国道45号線や県立高校があり、実際の移動では鉄道より車を優先するから便利な方を選んだというのもあるかもしれませんが、津波を恐れたというのもあるのではないでしょうか。

 いずれにせよ、またいつか来るであろう津波に備えて油断せず被害を最小限に抑えてほしいものです。

www5d.biglobe.ne.jp

20190327173531

 駅前に戻ってきたら、地元の中学生たちが演奏をしていました。

 見れなかったのは残念でしたが、強風が吹き荒れる寒い中、多くの方が見ていました。

20190327123722

  大槌駅付近はあまり復興が進んでいないという印象ではありましたが、それでも工事が進んでいるなと思いました。

 鉄道が町の復興に一役買うことを願います。

 ただ、駅前の商店街以外は全くと言っていいほど復興していない陸前高田と比べると、あそこはどんな被害を受けたのかとさらに愕然としてしまいます…

20190327173518

 実は、今回復旧した区間はすべて現状負担という形でJR東日本が負担しましたが、かさ上げした新しい区間に線路を敷設したところもあるので、鉄橋など完全に新しく作った区間もあります。

 わざわざ値段が高い、長さが長いレールを敷くことでカーブを緩やかにし、レールのつなぎ目を少なくして、砂利や枕木なども新品にしたり、車両も新型の車両を8編成JRが作り三鉄に無償で譲渡。

 言い方を悪くすると、復旧を断念して赤字の三セクに経営を丸投げした、JRなりの誠意といったものもあるでしょうか。

 

浪板海岸駅、片寄せ浜の浪板海岸を見る 

20190327123714

 浪板海岸駅で途中下車。

 駅から徒歩10分くらいで海岸に出られます。

 ここは波が片寄せといって海岸から海側には波が来ないので、

 サーフィンにうってつけの人気スポットでした。

 かつては今上(平成)天皇もここの近くのホテルに泊まりに来たそうで。 20190327123705

20190327180436 20190327180424 20190327180415

 写真にしても表しきれないくらい、本当に美しい所でした。

 青色の中に異なる色彩があって、奇岩こそありますがまさにグアムや沖縄にありそうな風景でした。

 ここは自分の目で見ることをお勧めします。ホテルも近くにありますし、海の美しさは写真なんかでは比べ物にならないです。

 ここまで美しい海を見たことがなかったので、思わず心を奪われてしまいました(笑)

20190327180406

 一方で駅に戻るとこんな碑が。

 駅自体は海から離れていましたが、近くに川が流れていたため津波が押し寄せてしまいました。

 え?って言ってしまうくらい小さな川(まさに支流です)なんですが、この川が命運を分けるとは、恐ろしいものです。

 

岩手船越駅、道の駅やまだで昼食・鯨と海の博物館見学 

20190327180357

 岩手船越で途中下車。

 少し歩くと道の駅やまだがあるので、そこで昼食をとります。

20190327182010

 f:id:Ikeeki:20190327210529j:image

 磯ラーメンをいただきました。1杯700円也。 

 三陸産の海藻やカニやホタテなどの魚介類、さらにワカメを練りこんだ麺と見るからに三陸のラーメンというものでした。

 ごちそうさまでした。

20190327182001

 鯨と海の科学館というところに来ました。

 山田は世界三大漁場で、捕鯨が有名だったところですが、鯨のことはよくわかっていないという印象を受けました。

 水族館では見られないことも知れたので良かったですが、

 東日本大震災の内容が思ったより少なかったのはいかがなものかと。

20190327181952 20190327181943

 科学館の前の広場は公園でしたが、ここもまた工事がされていました。

 時に脅威となる海と向き合うのは宿命なのでしょう。

20190327181934

 船越駅は津波被害は受けませんでしたが、その分駅の周りも若干古いなという印象を受けました。

 山田町の観光センターがあった場所でしたがシャッターが閉じ、駅も無人。お手洗いもなく若干寂しい駅でした。 

 

陸中山田駅、山田町散策

20190327183507

 陸中山田駅で途中下車。

 ここは観光ではなく視察といった感じです。

20190327183458 20190327183448

 駅前は更地が並んでいましたが、全体的にみると町ができてきているなという印象にありました。

 新しい駅に新しい建物、津波で町がより新しくなるとはなんだか皮肉なものです。

 それにしても、ほとんど市街地はなくなった陸前高田はどんな被害を受けたんだ…

20190327183440 20190327183430

  防潮堤を作っている最中でした。 

20190327185531 20190327185523

 町は新しくなりつつありますが、それでもいまだに津波の跡が残っているというのはやはり被害が大きかったということを表しています。

 復興していくのは大変なのでしょうが、それでも乗り越えるというのはやはりすごいなあと。

20190327185514 20190327185504

 山田町に津波が来たのは15時22分ごろ。地震発生してから約20分ほど。

 多くの方が大きな地震が来てすぐに、高台に逃げました。

 しかし、湾口や湾の広さなどで普段は白波すら立てないからか、「湾に囲まれた山田町は津波に強い」と言われていたので油断したのでしょうか。一番最初の第1波が弱かったことを確認したら、荷物などを取りに行くため多くの方が高台から下に降りてしまったそうです。

 第2波以降の津波は防潮堤を簡単に乗り越えて町を飲み尽くし、高台を降りた人を次々に飲み込んでしまいました。

 死者・行方不明者900人。1939年の昭和三陸津波の時の死者・不明者は7名だったことから見るに、明らかに油断・過信かと思いました…

 

 よそ者が言うのも申し訳ないですが、大槌町と同様に、津波の恐ろしさを1番理解しなければいけないはずの地元の住民が忘れていた、という事例ではないでしょうか。

 やはり震災や津波のことは教訓にして決して忘れてはいけない、と強く思いました。

memory.ever.jp

20190327185456

 町を見た後は駅に戻ってきました。

  陸中山田の待合室の雰囲気は木目調でなんだか落ち着く感じ。

 木のいすやテーブルだったり、ソファもあり待ち時間も全く苦ではありませんでした。

20190327221153 20190327221144 20190327221135

 宮古まで来て、今回の旅は終了しました。

 翌日は浄土ヶ浜に行くことにしました。

 下のおすすめ記事にリンクがあるのでよろしければご覧ください。

 宮古行きの車内は混雑していたので撮影はせず。 

 さすがに夕方になると朝のようなお見送りはありませんでした。きっとこれからこれが日常になっていくのでしょう。

 三陸鉄道の駅舎もJRのものと一緒になるため役目を終えていました。

***

旅をしての感想

 三陸鉄道は現在赤字路線とのことですが、それでも赤字区間をあえて復活させたということに大変感動しました。

 赤字になることがわかっているなら復旧しなくていいのではないかといった葛藤もあったかもしれませんが、それでも地元の方の心からの喜びを見ると、鉄道を復旧したことって素晴らしいことなんだなと改めて思いました。

 私も被災地には何度か訪れているとはいえ、所詮はよそ者なので行くべきか最後まで迷いましたが、来て本当に良かったです。三陸鉄道を心から応援したいと思います。

 今回は視察をメインに途中下車してきましたが、東北地方はまだまだいいところがいっぱい。

 今度は北山崎や、久慈のほうまで行ってみようと思います。

 閲覧ありがとうございました。

 

 

↓おすすめ記事

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

ikeeki.hatenablog.com

 

 

【被災地の海岸清掃】気仙沼ボランティア活動に参加して

 3月9日土曜日、気仙沼の階上地区のKRA海岸清掃ボランティアに行ってきました。

 休憩時間に少し写真を撮ることができたので、その記録をご紹介いたします。

 

 前回の記事はこちら↓

ikeeki.hatenablog.com

 

 そもそも、KRAとは「気仙沼復興協会」という一般社団法人で、ボランティアの受け入れや被災者の支援活動などを行っています。

 ボランティア活動は月命日の毎月11日に必ず行われているようですが、水曜日以外なら一人からでも活動できるようです。

 今回行ったときは3月11日の直前の土曜日ということで、貸し切りバスでボランティアに来たという団体客(100人はいたと思う)の方々と一緒でした。

kra-fucco.com

 

 

20190322095637 20190322095630

 集合場所は普段は復興協会ですが、伝承館の駐車場に団体バスを駐車させるためか、今回に限り伝承館の前でした。

 BRTで来たので散歩がてら歩くつもりでしたが、ありがたいことに陸前階上駅まで協会の方が車で迎えに来てくださいました。

 

 残念ながら伝承館のオープンは翌日の10日だったので中を見学することはできませんでしたが、駐車場の外から見るだけで痛々しい姿が見えてきました。

 その周辺も、やっぱり(こんな本音を言ったら叱られるかもしれませんが…)見渡す限り一面更地でどこも工事をしていました。

 集合時間の8時半に団体バスが到着すると、多くの方がぞろぞろとやってきました。

20190322095622

 またまた車で送ってもらい、海岸にやってきました。

 岩井崎の潮吹岩で有名な三陸復興国立公園とは離れていましたが、逆光で輝く海が大変美しかったです。

 というか、ここも津波が来たはずですが陸前高田とは違って松が生き残っていたんですね…

 一本だけ松が津波に耐えた、という”伝説”がすべてではなく、このように大きな観光地にはなってないけれど残った松があることも気づいていかないといけないだろうと感じました。

 

20190322102018

 この日は海の色は真っ青の素晴らしい快晴でした。

 さすがに海の近くには寄れないので、遠くから。

 それにしてもこの日は風が強くて波が高く、日差しは温かかったけど体感的にはかなり寒かったです。

 実際8年前の震災の日は雪が降ったというし、この前日の朝の気温は氷点下に達したそうです。

20190322102010 20190322102002

  それにしても、目立つのは白い雲…ではなく防潮堤。

 9月に行ったとき確かに工事しているなという印象にありましたが、ここまで大きな防潮堤を作っているとは思いもしませんでした。

 とはいえ、東日本大震災ほどでないにしろ、またいつか大きな地震が来る可能性はあるでしょうから、つくるべきでしょう。

 それにしても、気仙沼市街地は大島や唐桑半島に囲まれた湾があるというのに、津波が町を舐め尽くしたなんてやはり想像しただけでショッキングです。

 

  今回はこの辺りで遺骨を捜索しました。

 いや、8年もたって骨なんてまだあるの…?と驚きましたが、どうやら2月には(動物の骨を含めているとはいえ)それらしきものが75点見つかったそうです。

 自分もサメの歯を見つけました。サメの歯は結構抜けやすく生えやすいから意外と見つかるそうですが、それだけでなく、人骨っぽいものも見つかったそうで。

 まだまだ震災は終わってないんだな、行方不明の方もまだまだたくさんいるんだなと実感。

 親戚の遺骨を見つけてもらって感謝したというお話を遺族の方から聞いた(追悼式の御遺族の代表の言葉で)ことがありますが、言葉が出ませんでした。

20190322103129

 海岸は今だ工事中。正直このあたりは復興しているとは到底呼べない環境でした。

***

 活動も終わり、BRTに乗車。

 市街地のある不動の沢までBRTに乗車します。

20190322103122 20190322103115

  BRTから見るだけでいろいろ工事が続いていました。

 ここも様変わりするのでしょうか。

20190322104409

 3月16日より岩月駅、唐桑大沢駅・西下駅が気仙沼線大船渡線BRTで開業するそうです。

 地元の方にとってはBRTになったことで本数も増えて利便性も向上し、駅(バス停)も増えるということはよいことなのかなと思ったり。 20190322104402 20190322104356

 しかしBRTには問題点もあり、一般道を走る区間も存在するため、

 市街地に近づくにつれて渋滞に巻き込まれるということもあります。

 今回もイオン付近で信号待ちなどでずっと渋滞していたため、不動の沢到着が10分以上遅れてしまいました。

 BRT専用道路を作っているとはいえ、完全に解消されるとは言えないし、スピードも少なくとも鉄道ほど速くはならないでしょう。

 鉄道とBRTの特徴はそれぞれ一長一短といえるでしょうか。

 

  ちなみに、イオンの建物に少し黒くなっている部分がありますが、これは過去の津波で浸水したラインだそうです。

 パニックになっていた客や従業員を店長の方が津波が来るから屋上へ逃げろと避難誘導して事なきを得たそうです。

 津波、というより浸水被害のため建物が流されるといった被害はなかったようです。

 建て替えや移転もせず、4月1日から屋上で売り場を仮設で仮復旧した、気仙沼の買い物面での復興拠点の一つです。

20190322105606

 不動の沢で見かけたBRT工事の看板。

 BRTの専用道で渋滞解消、スピードアップし定時運行率が上昇したという区間も増えたといいます。

 南気仙沼付近は早めに作ってほしいですね。

20190322105559 20190322105553

  不動の沢から少し歩いて街を見下ろしてみました。

 工事しているところももちろんありましたが、住宅も並ぶ市街地で、このあたりは街がかなり生まれ変わっているなと思いました。

***

 ボランティア、というと堅いイメージが浮かんでしまいそうですが、

 単にその土地を見に行ってみたい、という理由でもいいと思います。

 私はボランティアを続けることでボランティア自体に興味を持ちましたが、実をいうと人のためとか絆とかいう理由で行ったことはあまりありません。

 

 相手が”今”何を本当に必要としているかを考えて行動する。これがボランティア、いや被災地と向き合うためには一番重要だと思います。

 多くの方が、生きていくだけで必死という生活は終わり、今後必要とするものは変わっていきます。それを知ろうとすることが重要ではないでしょうか。

 

 旅行だけでは見えなかった一面を見ることができる。多くの地元の方や一緒に活動している方と話してその人の思いを知ることができる。

 いろいろな方と出会いましたし、旅をするだけでは気づかなかったであろう色々な刺激を受けました。

 それこそボランティアの本当の醍醐味だと思っています。

 また機会があれば、訪れたいなと思います。

 

 ~おまけ~

  気仙沼周辺はBRTの街になってしまいましたが、一ノ関から気仙沼までの区間は鉄道が通っています。

 その区間は例によって、乗って楽しい列車も存在します。

20190322110848

20190322110841

 その名はポケモントレイン気仙沼号。

 ピカチュウがたくさん乗車しているポケモン好きにはたまらない列車。

 「POKEMON with YOU」というポケモンの被災地支援活動の全面協力で、東北の子供たちを元気づけたいと運行を開始したそうで、家族連れの方もたくさん乗車する人気列車です。

 往路は一ノ関11:01発、復路は一ノ関16:35着。2時間弱かけてのんびり走ります。

 気仙沼には12:51から14:37までしか折り返し時間がないので、短い気もしますが

 ある意味これはこれで気仙沼での宿泊を促しているのかなと思ってみたり。 

20190322110835

  駅名板にもピカチュウが。悲しいことに隣の鹿折唐桑の駅名がテープで消されてしまっています。

 あくまでBRTの実質”仮”復旧とはいえ、こののテープがはがされることはあるのでしょうか。

 

 東京を7:56に出る新幹線はやぶさなら一ノ関10:08着で、前を走る定期の普通列車含めて間に合います。これも機会があったら乗ってみたいです。

 

 関連記事
kra-fucco.com

www.jreast.co.jp

ikeeki.hatenablog.com

 

【東日本大震災から8年】被災地・陸前高田を訪れる

20190315104501

 2019年3月10日、陸前高田に行ってきました。

 2018年の3月に初めて陸前高田を訪れて、同年9月にまた訪れ、今回は3度目。

 これだけ見れば、正直全然栄えているとはいえないですが、それでも間違いなく町は復興に向けて変わっているなと感じました。

 去年の記憶をたどりながら、奇跡の一本松から陸前高田駅まで歩いてみました。

20190315104452 20190315104444

 気仙沼からBRTに乗車したのですが、まず驚いたのが道が変わっているということ。

 気仙大橋という新しい橋が架かっていました。

 半年前は家のような建物の隣を歩いて一本松に向かいましたが、歩道もある橋を通り、奇跡の一本松を見下ろすことができました。

 仮設の歩道とはいえ、工事の進捗状況によって毎回道が変わっているので、このあたりは常に変わり続けているなと感じることができます。

20190315105731 20190315105725

 奇跡の一本松駅で降りて、早速向かってみます。

 ここは国営の追悼施設になる予定の場所。建物は現在建設中でした。

 それでも、9月には囲いで囲われ土台などもほとんど見えなかった状況から比べると明らかに工事が進んでいるなと。

20190315105717

  3月10日の時点では、奥に見える白い橋を降りて川沿いに向かうルートでした。

 半年前は手前の青い橋(歩道はなかったはず)の手前で降りて向かうルートでしたが、変更になりました。

 半年前にBRTに乗ったときは道がガタガタだった記憶がありましたが、そのような大きな振動は感じませんでした。

 

20190315110150 20190315110143 20190315110135

 20190315110645

 こうして一本松へ。翌日が震災発生から8年の日だからでしょう、一本松のところに花が献花されていました。

 工事は進んでいましたが、とても大きなクレーン車がある以外は、驚くほど変化したところはそこまでなかったです。

 このあたりは追悼施設や水門ができたらかなり変化することでしょう。

 時間もなかったので急ぎ足で見学を終えました。

 

20190315111253

 戻る道中でもう一枚。

 なるほど、かなり工事している方も見られるますね。

 このように、土埃に負けずに工事される方々のおかげで被災地も少しずつ変わっていってるんだなと思います。

20190315111243

20190315111231

 一方、反対側はこのありさま。

 建物らしいものはほとんどなく、ただただ土台があるだけ。

 大量のショベルカーやダンプカーが役目を待っている状況でした。

 土台の下からこういう光景を見ることは当然できなかったため、今まで見ることができなかった光景。

 このように、今まであまり見えなかったものが見えるようになり、今の状況をますます理解することができるようになりました。

20190315111936

 

20190315111930

 奇跡の一本松駅から陸前高田駅まで歩いてみます。
 この辺りは土台ができただけですが、その土台の高さが上がっています。

 そしてこれまで何度見たかわからない、土嚢が道沿いにたくさん並んでいました。

 今日は日曜日なのでここでは工事している方はいませんでしたが、陰で工事が続いていることがうかがえます。

20190315112536

 

20190315113401

 その工事の進捗率の看板。上は今回、下は半年前の写真です。
 61%というのが高いのか低いのかはわかりませんが、下の半年前の写真が11%なことを見ると、確実に工事が進んでいることがわかります。

 しかし、当然ながら工事すべきところはここだけではないので、この辺りで工事はまだまだ続きそうだなとも。

20190318143229

20190318144010

 ここが一番、辺り一面見渡せる場所でした。

 延々と続く更地ではありますが、背景の建物が建設されていることはわかりますよね。

20190318144748 20190318144739

 参考までに、去年の写真を2枚。上が一年前、下が半年前。

 復興したか…?といわれると正直うなずくのは難しいですが、 背景の建物の様子が異なることはわかるかと思います。

  次訪れる際には、周りの景色がさらに変わっているかもしれません。

20190318144001

 ここは更地は更地でも分譲地っぽかったです。

 陸前高田駅から約500m離れた地点。国道沿いでかなり更地が見えるのはこの辺りまででした。

 写真に見えるセブンイレブン付近から駅に向けて、家が立ち並んだり道路が舗装されるようになり、徐々に市街地の町らしくなってきます。

20190318141347 20190318141337

 陸前高田駅付近にやってきました。

 奇跡の一本松駅から約2.5㎞ほどで、徒歩大体40分ほどで着きました。

 一本松から歩いている道中はずっと更地ばかり目立っていましたが、駅付近の国道ではスーパーなどの商業施設含む建物が並び(これは以前からですが)、多くの人がいて今までのところに比べるとかなり町らしくなっていました。

20190318141329

 陸前高田駅。日曜日だから待合室は人でいっぱいでした。

 実はかつては営業日が週4日だけでしたが、毎日になっていました。

 また、駐車場や交通広場ができていて、利便性が向上していました。

 ここでも人々の営みを感じました。

f:id:Ikeeki:20190318151029j:plain

 参考までに9月の写真。ご覧の通り以前は日・月・水・金曜日のみの短縮営業でした。
 長距離切符や乗り継ぎ切符をより買い求めやすくなりそうですね。

 青春18きっぷ、ここで買えばよかった…

 ***

 初めて訪れた時から1年経過し、その時と比べても少しずつ活気が戻ってきているなという印象がありました。

 実際に現地に行って被災地を見ることで、改めて現実離れした震災のことをより実感できるので、

 実際に現地に行って何が起きたのかを自分の目で見ることを強くお勧めいたします。

 東日本大震災という絶望的な大災害にあいながらも、地元の方々は前を向いて暮らしています。

 決して忘れてはならない大災害ですが、全部が全部悲しいと考えつけることはよくないと思います。

 今年に入り、気仙沼市階上の向洋高校が伝承館としてリニューアルオープンした模様。

 私もかつて訪れましたが、中に入ることはできず。

 また改めて訪れようと思います。

 伝承館公式ホームページはこちら↓

www.kesennuma-memorial.jp

 

  今回の視察は大学の先輩と同行しました。

  徒歩40分という大変キツイルートを勝手に歩かせてしまいましたが、付き合っていただきありがとうございました。

 

*** 

 最後に、自分の去年の陸前高田の旅の記録を紹介させていただきます。

 よろしければぜひご覧ください。

ikeeki.hatenablog.com

 

ikeeki.hatenablog.com

 

  閲覧ありがとうございました。

 

【野辺山の冬の星空】HIGH RAIL星空号乗車記 小淵沢~佐久平

20190303113630

 HIGH RAIL星空号に乗車してきました。

 それは、文字通り星空を見る列車です。

 小海線といえば八ヶ岳高原線といわれるほど、標高の高い路線です。

 そして途中駅の野辺山駅は標高が、日本三選星名所といわれ、国立天文台があるほど空が澄んでいて、夜には美しい星空を見ることができます。

 そんな夜景を見るため、乗って楽しい列車としては珍しく夜をメインに走ります。

 夏に1号に乗車したことがありますが、そんなのは間合い運用といった感じでしょうか。

 星空号は野辺山駅で長時間停車し、星空案内人という沿線の天文学者の方?が駅の外の公園で季節の星空を見ながら解説をしてくれます。

 さらに、野辺山に着くまでの間はプラネタリウムの上映も行うという、星とは切っても切れない列車です。

 

 2019/2/24 小淵沢1709→野辺山1803-40→佐久平1951-53(→小諸2014)

20190303115921

 寝台列車のマークが入っていますが、それは駅の電光掲示板だけ。しかもワンマン運転なので2両編成のうち開くドアは1つだけです。

 指定席券はアテンダントに見せて乗車しますが、車掌の検札は来ません。

 車内に入ると乗車記念スタンプとプラネタリウムを見学するための整理券が。

 夜に走るので景色は基本的に望めませんが、野辺山到着までの間の見たい時間にプラネタリウムを見ることが可能です。

20190303113623

 さて、乗り込みます。

 連結面にはかわいいてるてる坊主が。

 そりゃ曇って星空見えなかったら乗ったのが無駄になるからねw

20190303113615 20190303113607

 発車直後の20分弱はまだ空も明るく、富士山や八ヶ岳が美しく見えました。

 冬といってももうすぐ3月、大丈夫なの…?と思いましたが、

 甲斐大泉で10分ほど停車するため割と暗くなります。ちなみに第3回を選ぶと停車している時間にプラネタリウムを見ることができました。f:id:Ikeeki:20190303141513j:plain

 こうして夜も更けていき、プラネタリウムの上映もすべて終わります。

 

20190303115931 20190303115914 20190303115905

  野辺山に到着。駅は無人で、しかも相当暗い。

 ただ、到着直後は真っ暗で星空観察向けというわけではなく、空は若干明るくオリオン座のような1等星くらいしか最初は見えませんでした。 

20190303121510 20190303121501 20190303121453

 私の機材ではこんな写真しか取れず申し訳ないですが、

 それでも徐々に暗くなっていき、うっすらとしか見えなかった星がどんどんきれいになっていくのはなかなか見ごたえありました。

 薄曇りで暗い星は見えなかったようですが、それでもここまで見えるのかと東京に住んでいる身としては驚きました。

 ま、そもそもの標高が高いから星空にとても近いので当然といえば当然ですけどね。

 案内人の方がいろいろな星を解説しているのを横目に、写真ばっか撮っていました()

 ただ、高原ということもあって寒かったし星空ばかりで若干飽きてきていたので、30分はちょうどいい時間でした。f:id:Ikeeki:20190303141557j:plain

 野辺山出発。せっかくなので食事は小淵沢駅の丸政さんで購入した八ヶ岳の高原野菜の弁当でも。

 野辺山は夏でも涼しい気候や、関東に近いことを生かして、レタスやキャベツなどの高原野菜を多く栽培する一大産地として有名です。その野辺山の高原野菜を使用した駅弁です。

 野菜好きにはたまらない弁当ですね。1個1000円也。

 駅弁は基本冷たいものが多いとはいえ、生野菜の駅弁なので消費期限も非常に短いですが、1970年の発売開始からもう間もなく50年というロングセラー駅弁。大変おいしかったです。

20190303121445

 野辺山を過ぎるともうイベントはないので佐久平か小諸までは乗降はありませんでした。

 小海線を全線走破するのに途中駅利用者がいないということは、沿線の利用客はシャトル列車としても使わないということ。あるいは中込始発の40分後の列車を使うということ。

 リゾート列車や夜走る列車は何回か乗ったことがありますが、観光客しか乗っていないという列車はこれが初めて。

 まあ三江線レベルのローカル線ではなかったですが…

 ある意味これが一番HIGH RAILの特徴かもしれません。

 

 中込で車内販売も終了し、佐久平まであと10分ほどに。いよいよ旅は終わりに近づきます。

20190303121434

20190303123817

  車内はこんな感じ。2号車は普通のリクライニングシートですが、

 写真の1号車は景色を見るために席が窓に向かって設置されています。

 ちなみに八ヶ岳側の窓の座席は二人用なので、相席になったら相当きついですw

 旅行商品の空きがあったら座れるので、窓口で確認することをお勧めします。

 指定席で購入する際は基本的に2枚目のボックスシートになります。

 背面を見るからに安っぽい感じですが、シートはふかふかだし、すいていたらボックスを堂々と占領できるし、隣の窓の景色も簡単に見れるので私は割と好きです。

 どうやら今月からえきねっとでもシートマップが表示されるようになるそう。ますます席選びが楽しくなりそうです。

20190303123006 20190303122957

 佐久平に到着。

 ここで9割ほどのお客さんが下りて新幹線に乗り換えていきました。

 残った2,3人の方を列車の姿が見えなくなるまで見送っておりました。いや~、私がいたからだとしてもすごいです。

 

 ちなみに、撮影を終えて新幹線に乗り換えようとしたらこのおじさんに声をかけていただいて、乗換ホームまで一緒にお話ししながらお見送りしていただきました。

 やはりこの日は人が少なかったそうで。また乗りに来てくださいと言われました。

 そして記念としてアルクマのうちわもいただいて(笑)。本当にありがとうございました。

20190303122949

 佐久平では20:00発のはくたか574号東京行きと接続しています。

 大宮20:50着、東京21:16着なので冬なら日帰りも余裕ですね。

 ほとんどの方が東京方面へ行ったようですが、私は20:04発のあさま625号で長野駅へ。

20190303122940

 そういえば夜の長野駅に来たのは初めてでした。

 昔の駅舎に比べると見劣りする感は否めませんが、こうしてみるとやはり都市的で立派です。

 日曜日の夜ながら駅前にたむろする酔っぱらったグループに気を付けながらホテルで宿泊しました。

*** 

 820円の指定席券は高いかなーと思いましたが、

 星空見学やプラネタリウムを列車に乗りながら見るというのはなかなかできない乗り鉄旅だったので意外と楽しかったです。

 リゾートしらかみの旅の時も感じましたが、やっぱりJR東さんはローカル線に人を呼ぶ戦略うまいですね。

 小海線はなかなか奥が深そう。今度は途中下車しながら撮影やハイキングをしてみたいです。

 HIGH RAIL1375の長野支社のリンクはこちら↓

www.jreast.co.jp


 【おまけ】

20190303123809

 長野駅は父の地元のため、子供のころから使ってきた駅なので、189系おはようライナーをここでとることが夢でした。というかこれが本命だったのでHIGH RAILは正直前座w

 珍しく編成写真ですが、おはようライナー幕で撮れてとてもうれしかったです。

20190303123801

 もっとも、子供のころから本当に見てきた長野駅の雰囲気はこんな風景。

 遠くから電車が来た!と子供のころワクワクしながら見ていた思い出がうっすら残っています。

 横須賀色+長野色は格好良すぎ。また行きたいです。

 

f:id:Ikeeki:20190303141431p:plain

 ちなみに、本日3/3にひな祭りと利用客3万人達成を記念して、特別なプレゼントや甘酒サービスをしてもらえるようです。

 うらやましい…ですがこの雨では星空は見えないかもしれませんね…

 とにかく、3万人達成おめでとうございます。