他人事なのかもしれないけれど。【震災から10年】2021/3/13
久しぶりに、このカテゴリを更新した気がします。
2021年3月11日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生して10年の時に、過去の思い出を振り返って書いた記事がありました。
折角なので、こちらでも紹介します。読んでいただけると嬉しいです。
※当記事は、コロナウイルス蔓延中の旅行についての推奨や否定をする意図はありません。念のため。
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2018年~2020年、東北の被災地に何度か行ったことがある。
当時震災から8年も経ったのである程度復興しているのかと思っていたら、想像以上に更地ばかりで、ガタガタの道路を土で汚れた工事用のトラックや鉄道の代替バスが走り、車が通った後は砂ぼこりが舞っていた。
その後、津波や原発事故や震災で、大切なひとを亡くした方や家とか思い出を失った方にも会ったことがある。旅に行った後だったのでさぞかしつらい思いをされているんだろうと思った。
でも、その人たちは笑っていた。きっと悲しみは受けたはずだから隠していたのか、被害を受けていない私にはわからない。ただ、いつの間にか励まそうと思った自分たちの方が元気をもらう立場になっていた。
昔縁あって現地の追悼式に参加したこともあるけど、亡くなった娘さんに向けて被災者の遺族の方が涙をこらえて話していた。私の方が泣きそうになってしまった。名前も知らないし遠目で見ただけだけど、今でも忘れられないしその人は強いと思う。
この空気感は現地で見ないと、この重々しい感情や空気を理解することはできなかったと思う。
言ってしまえば他人事ではあるが、それでも第三者として自分の五感で知ることが出来てよかった。テレビで見るのとは違って、五感に訴えかけてきた。その受けた感情は人それぞれで違うだろうが、私は今までに感じたことのない感情だった。
私は現地に行くことを通して、現地の人の力を知ることが出来た。良い力も、悲しみの力も。
自分から足を踏み入れないと、この力を知ることはできない。
実際に旅するでも、本を読むでも、人の話を聞きに行くでも、食べるでも、なんでもいい。
わざわざ見にいこうとせずに見ることが出来るからこそ、自分から見にいくことで何か得られるんだと思う。
そして私はそういう想いをもって出かけていたら、応援しようとか何か感じようとか思って東北に訪れていたのに、いつの間にか東北が好きになっていた。
「被災地だから」東北に行っていたのに、気付いたら「東北が好きだから」東北に行くようになっていた。
いつか東北が「被災地だから」ではなく、「魅力があるから」スポットライトを浴びるようになることを願っている。
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コロナ禍でオンラインで追悼しようという風潮ができてしまい、ますます直接現地に行かなくても、家でオンラインで何でもできるという考え方になってしまった。
去年も今年も何度か東北に行こうと思ってたけど、さすがにコロナ禍で行くことは叶わなかった。コロナ流行直前の去年の春休みに行ったのが最後だった。
オンラインが悪いとか言うわけではないけど、やっぱりその場の雰囲気を知ることは難しい。
なんというか、当時の東京でも東北の状況がわからないのにどんよりとした閉塞感があったけど、それがコロナ禍みたいな雰囲気だったかというとよく覚えてない。
(たしか当時小学生の私は現実を理解できずにこんなのおかしいと怒ったら、父親に殴られた。思い返すと親にあんな本気で殴られたのはこれが最初で最後だった気がする)
そして、他人事だからこういう自分に直接関係のない悲しみはいつか風化してしまう。
大学の同級生の中には、東北の震災っていつだったっけ?って人もいたし、西日本出身者には名前しか知らないって人もいた。
これが現実。私だって正直に白状すると新潟地震や西日本豪雨は私にとって他人事でしかない。東日本大震災含めてどれも大変な災害なのに。
だから、忘れていることや従来と異なる状況を批判・否定するのではなく、この事実を受け止めなくてはいけない。
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10代を過ごした10年間。
私の生活を振り返っても、長かったような、あっという間だったような。
この後は就活、卒論、その他大学でやり残したこと、就職。
やりたいこと・やるべきことは他にもまだまだたくさんある。当たり前のことばかりをやったとしても、きっと激動の1~2年となるだろう。
100年人生の中の10年というと10%を占めるのでそこそこ長いように感じるかもしれないけど、地球規模で言えば10年なんて、0.0…の後にも0がいくつ付く?というレベルでほんのわずかだ。
時間という概念や時計・カレンダーを暦に合わせて作り出したのは人間だ。
「10年」という節目は、あくまで人間が作り出したものでしかない。
「10年の節目だから」とか「コロナで行けないから」とかいう考え方ではなく、これからも被災地のことを忘れずに、自分にできることは何か考え、そして当たり前に過ごせることが幸せだと感謝するほうがいいと私は思う。
10年経って、20代になった私が大人になれたのかはわからない。東北や政治の悪いニュースも知ることになってしまい、あるいは大人にならない方が良かったのかもしれない。
たしかに結局のところ私一人では無力だから何もできないし、当事者の方からしたら私が想っていることは所詮他人事なのかもしれない。
でも、私は東北に行ってよかったと思うし、東北や東北に住む方が好きなのに変わりない。私という人間を受け入れてくれた東北や地元の方々には感謝してもしきれない。
一人で無力だとしても、他人事だとしても、私たちが何もできないというわけじゃない。
"今日だけ"ではなく、"今日も"幸せに暮らせる日々に感謝したい。
2021/3/13 とうふ納豆
東北での旅の思い出はマガジンにまとめています。当時の私の想いを別のブログから引用しています。今後も継続予定なのでよろしければご覧ください。↓
本当は3月11日に投稿しようと思って書きましたが、(特に後半の)自分の想いをつづったときに納得する文章・言葉がまとまらず、投稿まで時間が経ってしまいました。稚拙な文章ゆえにすべての想いが伝わるとは思っていませんし反論もあるかもしれませんが、それでも伝えようとすることに意義があると私は信じています。
最後になりますが、皆様どうか無理しすぎませんように。少しでも皆様の生活が穏やかになることを願います。
三途川を2往復してきた(ネタ)
高崎駅から、上信電鉄という地方の私鉄に揺らり揺られて、高崎駅から約30分。
趣のある木造建築の駅を降りてみる。
駅の前はなんてことはない田舎の風景。
だけど、何やら怪しい川が流れている。
三途川。
単なる川の名前だった。
三途の川と言えば、仏教でいうこの世とあの世の境目の川。
あの世へ行くためには、善人は橋を渡り悪人は泳いで渡るが、いずれにせよ現世とのお別れの川。
注意という文字が恐ろしさをより強くする。
だけど、言うまでもなく単なる川の固有名詞。
対岸に行ってしばらく待機して、その後橋を戻って待ったが、このように生きている。2往復してみたけど、特に何も生命に変わりはない。
はっきり言って、ネタにしかならない。
この近くにお寺があるから、仏教の教えの一環で自然と三途の川という地名が定着していったのかもしれない。
ちなみに、「三途川」という川はここ群馬だけではなく、ほかにも青森県、千葉県、秋田県にもあるらしい。
せっかく晴れているので、田舎の小さな道を西へひたすら進んでみる。
浅間山が見えてきた。
実家が長野だから、長野県側からたくさん見てきていたけど、
なかなか群馬から見た景色も美しかった。
山深い地域の中の、狭い盆地。視線の先には、名峰浅間山。
上州は自然と神仏信仰されてきても当然だと思う美しい景色だった。
※2020年1月1日訪問
台湾旅行おまけ~その他の写真集~
とてもたくさんの写真を撮影した台湾旅行。
最後に、深入りしなかった少しだけ寄り道した観光地の写真と、台湾の旅行先の街並みと、食事を羅列していきます。
~往路~
~台北にて~
~食事~
~帰路~
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楽しい時間はあっという間。
本当に一瞬で帰ることとなりました。
台湾からの帰国後、コロナウイルスが世界中で流行していきました。
というより、私が成田から出国後にクルーズ船・ダイアモンドプリンセス号の陽性者確認されたらしく、帰国したら日本中が大騒ぎしていました。
(海外旅行に夢中で、当時日本のニュースは見てなかった…)
1か月経たずに海外渡航が制限されたので、本当にギリギリでした。
2月下旬や3月だったら危なかった。
街中でマスクをしない時間もあったなど、正直対策に甘かったのは反省点ですが、結果的に健康なまま帰れたので良かったです。
今後もいつまでコロナ禍の制限があるのかわからないので、親には心配かけましたが本当に行ってよかったです。
正直なところ、あまりに楽しかったので、来年度以降は香港とか西アジアとか行ってみようと思ってたんですがね…
コロナも世界情勢的にも海外旅行が厳しくなってしまい…残念です。
ここまで中断期間を含めて長々と書いてきましたが、1年半前に行った台湾が、なんだかとても遠い昔のようになりつつあります。
今回行ったのは北の北で、ほんとうに端っこだけ。
3泊4日で東京観光(距離的にも50㎞圏内くらい)くらいしかしてないようなもんです。
初めてだったので妥当な日程、距離でしたが、今度は台南や台中などに行ってみたいですね。
最後に、いろいろ計画立ててくれたり、迷惑や心配をかけてしまった、一緒に来てくれた友だちへ、本当にありがとう。一生残るような素晴らしい思い出になったし、感謝してもしきれません。
素晴らしい思い出をありがとう!大谢谢台湾!
大雨と紅葉終わりの筑波山
これは去年11月のお話。
大学の友人たちと筑波山に行ってきました。
コロナで人と会えなかったので、約半年ぶりでしたね。
日にち:2020年11月25日(雨)
ルート:北千住駅→(TX)つくば駅→(バス)筑波山神社入口→宮脇駅→(ケーブルカー)筑波山頂駅→男体山山頂→女体山山頂→女体山駅→(ロープウェイ)つつじヶ丘駅→(バス)つくば湯→筑波山神社入口→(バス)つくば駅→(TX)北千住駅にて解散
使用切符:筑波山きっぷ4110円
その他:昼食代・入湯代・夕食代・お賽銭
参加人数:計5名
※冒頭のきっぷの写真は、友人のうち2人で撮影したきっぷです。
常磐線で茨城に行ったことはありましたが、つくば駅は初めてでした。
学術的な研究都市というイメージなので、町の散策をしても楽しそうですが、今回は登山のみ。
当時はGo To Travelをやっていたころ、都内の人は今思えばコロナ前のように多く感じました。
それにしても、つくばエクスプレスの快速は本当に早い。
快速に乗車して、友達としゃべっていたら、あっという間につくば駅。
つくば駅のバスセンターからバスで40分ほどの、筑波山神社入口で下車しました。
後述しますが、筑波山体そのものを御神体としている筑波山神社。本宮ということでとても立派な境内でした。
神社からさらに少し歩いて、ケーブルカー乗り場へ。
ちょうど行ってしまったので、20分程度待つことに。
トンネルがあったり、カーブが多いことが特徴のこのケーブルカー。
換気で窓が開いていましたがその分綺麗な木々を間近に見ることができました。
10分ほど揺らり揺られて、いよいよ念願の山頂。
が、残念ながら、山頂付近では終始雨が降っていた筑波山。
ますます雲に隠れて、楽しみにしていた景色は望めず。
お昼時だったので、筑波山頂駅のすぐそばにある、コマ展望台へ。
展望スペースとレストランがあります。
寒いときはけんちん汁を食べるのが私のモットー(謎)。
けんちんうどんを注文。一杯800円。
メニューも豊富で観光地ながら1000円以内で簡単に食べることができます。食券制なのでささっと食べるのに便利かもしれません。
ストーブもあって温まりました。
ごちそうさまでした。
この昼食をとった時間帯が一番雨が強かったですね。食事で済んだのが不幸中の幸い。
ちなみに雨にもかかわらず、この時間帯は結構観光客・登山客が多くいた気がします。
(ちなみに、この周辺は御幸ヶ原と言います)
ここから少しだけ歩くと男体山の山頂なので、頑張って移動。
相当険しい山道を雨の中歩き、山頂にたどり着きました。
山の雨は舐めたらいけないというのは、登山をかじっていたので理解していましたが、
出迎えてくれたのは想像以上の崖。
晴れていても少し怖い岩場が、さらに恐怖を感じました。
思ったよりも雨が強かったので、集合写真などとる暇もなく、安全地帯へ下山。
観光山とはいえ、少し舐めていたかなと反省。
御幸ヶ原まで戻ってきて、今度は女体山まで歩いて行きます。女体山までの道は、ゆるやかですのでご安心を。
大体1㎞程度の道ですが、こちらはスニーカーでも十分歩けます。
道中は自然豊かで様々な様相を呈しています。
奇岩も多く、歩いていて飽きません。
御幸ヶ原から休みつつゆっくり40分ほど歩いて、女体山へ。
写真をとったり、休憩しつつ、雨も強くなってきたので、下山します。
最後まで山の上から景色を見ることは叶いませんでした…
女体山のすぐそばには、線路のケーブルカーではなく、ロープウェイがすぐそばにあります。
ふもとの降り場のつつじヶ丘駅には駐車場が併設されているので、車でのアクセスはこちらの方が便利です。
しかし雨もひどいので、慌ててバスに乗車。
筑波山の区間はバス乗り放題のため、バスに乗って神社入口で下車。
が、バス停を降りた最後の最後で雨がやみ、雲の隙間から少しだけ晴れ間が見えました。
とてもきれいで、一同見入ってしまいました。
筑波山は1億年以上前に、海底に積もった地層に貫入した斑れい岩、花崗岩のマグマが地殻変動によって持ち上げられ、山塊となって削り取られた山。
硬い斑れい岩が頂上、花崗岩がもとになっています。
二峰の山は古来から信仰の対象となっていて、自然に男女二柱の祖神が祀られるようになっていきました。
人々が関東平野に住み始めたころから信仰されて、信仰の歴史は3000年以上とも言われます。
登山終わりの楽しみといえば、温泉。
泉質はアルカリ性が強く、肌がすべすべになることから、「美肌の湯」とも言われています。
行きはバス停からここまで歩いていきましたが、入浴後は温泉の方のご厚意で、わざわざ温泉からバス停まで車で送迎してくださりました。ありがとうございました。
楽しい時間は本当にあっという間。もう帰る時間です。
余韻に浸りながら帰ることとします。
帰りの運転荒かったバスの運転手め、許さん
観光地の人の温かさが、また行きたいと思わせてくれました。
綺麗な景色を見ることは叶わなかったので、いつか晴れた日にまた訪れたいと思います。
そしてなにより、久しぶりに会えた大学の友人との思い出は、大切な記憶として胸にしまっておくことにします。
これから大学を卒業したら、会う機会はさらに減ってしまうかもしれませんが、バカやれる友達・仲間はずっと大事にしたいです。
楽しい思い出をありがとう!
金鉱に触れられる絶景の見える山の町・金瓜石
台鉄に乗って瑞芳駅に到着。
この台湾独特の乱雑な雰囲気を抜けてバス停へ。
乗るのは金瓜石行きのバス。
九份からさらに東へ1㎞程度の距離にある観光地です。
たくさんの観光客が降りて行った九份を横目に金瓜石に到着。
九份と近いので、掛け持ちができるので人気観光地にもなりうるはずですが、乗客は私たちだけでした。
『地球の歩き方』に掲載されていて、行ってみたい!という想いから九份に行く前に訪れることにしました。
九份と同様、金鉱が発掘されたためゴールドラッシュに沸いた街。
日本の皇太子のために建てたとされる、太子賓館。
中華圏ではあるものの、和風邸宅のためやはり落ち着きます。くぎを使っていないのもなかなかいいですね。
「統治時代に金鉱を採掘させた」というと負のイメージが強いですが、結果的に台湾の発展につながったので、
こういう工業を発展させた日本の功績は卑下せず誇りに思ってもいいと思います。
金鉱を運んだトロッコの跡地です。
金瓜石は九份をしのぐほどの金鉱の山のまちで、
本物の金に触れる博物館がありました。
まさに、街全体がミュージアムとです。
観光客も少ないのでとてものんびり見ることができました。
そして、この近くから延びる階段の先には、黄金神社の跡地と山道があります。
折角なので登ってみることに。
すごく登ったわけではないですが、このありさま。本当に山深いところなんだなあとつくづく思います。
こうしてみると本当に廃墟の鳥居ですよね。
ちなみに奥の不思議な形の岩、急須のような形だから急須岩と呼ばれてるそうで笑
さて、お目当ての神社跡です。
もう祀られてないのかと思いますが、雰囲気は良好でした。
なかなか雰囲気はよかったですが、山まで登る人はさらに少ないようです。
山深い地域ですが、東シナ海がとても近く、海がきれいに見えます。
山と海に囲まれた町といえば横須賀や長崎など浮かびますが、ここまでの迫力はあるのでしょうか。
なんだかすごい雰囲気の場所にやってきました。
石が整然と並び、連なる。
鳥肌ものでした。
アドレナリンが出まくっててやばかったです。これだから登山はやめられません。
ちなみに、帰る時観光案内所のおばちゃんに楽しかった?と声をかけられました。
実は色々あって友人とはぐれてしまい、ここの案内所のおばちゃんに助けられました。
片言で分からないはずなのに嫌な顔一つせず親身に対応してくれました…本当に感謝です。
また来るからね!と中国語でいいましたが伝わりましたかね?笑
いや、本当に最高でした。台湾来てよかったと思いました。
言語通じてないのに通じました、本当に度胸とボディーランゲージさえあれば会話できるんだなあと実感しました。
出川イングリッシュは正義ですね。
個人的にはこの金瓜石が一番訪れて楽しかったなと思います。
マイナーだからこその楽しみというか、往年の雰囲気に浸れてとても楽しかったです。
台湾の人のやさしさも何もかも知れてよかったです。
最後に台北のまちを簡単に紹介して台湾旅行編は終了とします。
もう少しだけお付き合いください。