旅先の思い出のーとぶっく

自分の人生を旅先での出会いが変えてくれた。今度は僕が変える番です。

【雨の鳴子東線】リゾートみのり乗車記 2018/8/24 仙台~新庄

 

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 2018年8月24日。仙台駅。

 新幹線を降りて初めて乗車する路線に胸を躍らせる。 

  去年運行10周年を迎えたリゾートみのり(当日は新庄夏まつりが開催されたため「みのり新庄まつり号」として運行)だ。

 

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 普段仙石東北ラインの発着するホームに停車していた。

 金曜日だというのに夏休みだからか多くの人が撮影をしていた。

 そしてなんと(全く連絡を取っていなかった)高校の友人も撮影しにきていて、部活引退以来超絶久々に会うことになりましたw

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 さあ出発。

 政令指定都市の大都会仙台を発ち、3時間の旅へ。

 

 2018年8月24日 「みのり新庄まつり号」

 仙台913→鳴子温泉1101-23→新庄1226

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 車内は相当重厚感があり、紅葉の上質感、稲穂の実りの豊かさ、伊達政宗の力強さのイメージをそのままにしたつくりであった。

 と同時に足元のシートピッチはなんと普通車で1200㎜。新幹線は1040㎜なので、優等列車をもしのぐ広さである。

 普通列車のキハ110でもいいかなと思ったが、これでは全く比べ物にならないであろう。

 

 ちなみに、この列車には「みのりっ娘」というアテンダントが乗車していて、駅で使える割引券付きの乗車記念証明書をもらえる。

 また、先頭1号車にはイベントスペースやスタンプも置いてあり、広い運転室の窓を生かした工夫が施されていた。

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 小牛田までは東北本線を臨時列車ながらかっ飛ばす。

 あいにく、台風通過後の悪天候で松島はきれいに見えなかったが、代わりに乗客は少なくある程度写真を撮影することができたのは幸運といえよう。

 ちなみに、平日ということもあって小牛田や古川といった短距離のみの乗車をするビジネスマンと思われる人の姿も見られた。

 そして指定席券を購入して乗車していたのでそれだけ浸透しているということであろう。

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 新幹線も止まる大崎市の玄関口、古川に到着。

 新幹線への接続はよくないがここで降りる人も見られた。

 ここで10分停車。のんびり行きましょうということだろうか。

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 ところで、陸羽東線は「奥の細道湯けむりライン」といわれるとおり、松尾芭蕉や伊達政宗のゆかりの名所や最上川に沿うように山の中を駆け抜ける。
 そして川湯温泉、鳴子温泉、中山平温泉、赤倉温泉、瀬見温泉など沿線には温泉が随所に存在する。
  これらの魅力を余すことなく楽しむ、というなかなか贅沢な列車だ。

 ただ正直、車体は国鉄車であるキハ40のため古さが目立つ。

 この古さがいいとはいえ、そろそろ新車や改造車が出てきてもおかしくはないような気もする。

 はたしてこのみのりはいつまで走るのだろう。

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 仙台を出てから約2時間。鳴子温泉に到着。

 東の横綱といわれるこの温泉(西は別府)は、なんと駅前に厳選かけ流しというかなり贅沢な足湯がある。

 下り列車は20分ほど停車するので足を温めることとした。

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 温泉とともに紅葉も有名であるということが記されていた。

 

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 鳴子といえばこけし、ということか鳴子温泉駅にはこんな工芸品が展示されていた。

 博物館がない代わりに駅が観光地の名産をアピールするという、地元に寄り添った駅なのかと実感した。

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 鳴子温泉をでると、鳴子峡を車窓から見ることができる。

 車掌さんが間もなく鳴子峡ですとアナウンスしてくれて、徐行運転するので見逃すことはないだろう。

 ただ、残念ながら台風が来ていたため濁流で濁ってしまっていた。

 これはまた来よう。

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 ここは瀬見温泉だったかな?

 このように温泉の湯気が列車のすぐそばまで来るところもある。

 沿線を途中下車しながら行くとより楽しめそうだ。

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 こうして仙台から3時間13分。終点新庄に到着。

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 夏の終わり、新庄まつりが駅の周りで熱気を帯びていた。

 自分も例にもれず、新庄まつりを少し見学することにした。

 ***

 リゾートみのり、今思えば楽しい列車でした。

 アテンダントのサービスはやや少ない印象だったため、少し物足りない感は出てしまいましたが、これも車窓を眺める時間を邪魔しないという意味ではよかったのでしょう。

 さすがに3時間越えは長すぎて退屈してしまいましたので、次回は鳴子温泉を観光しながら再訪したいです。

 

 次回は新庄まつりや山寺の観光記を紹介します。

 

 参考までに、【リゾートみのりのJR仙台支社公式リンク】

jr-sendai.com

【東大寺の瓦を作った史跡】万富東大寺瓦窯跡を散策

 皆様、あけましておめでとうございます。

 2019年もよろしくお願いします。

 

 さて、年明け早々新シリーズを始動します。

 題して、【マイナー観光地を巡る旅】。

 観光立国の日本にはたくさんの有名な観光地がありますね。この冬、私は山陽地方を訪れましたが、その中でも姫路城や厳島神社など世界遺産や日本が誇る超有名観光地がたくさんあります。そしてそのようなところには基本的に常に多くの人がいます。

 その一方で市の公式サイトには載っているけど、普段はあまり行こうと思わないような観光地も存在します。

 Googleマップなどでも口コミが相当少なく、行くのをためらってしまうようなところ、ありませんか?

 今回のシリーズではそのようなそこまで観光客がいないような観光地を巡ってみようという企画です。

 いやいやそこはマイナーじゃない!というお叱りを受けるかもしれませんが、

 少しでも興味を持っていただける方がいることを願って書きますので、よろしければ見ていただけると幸いです。(コメントは自由ですのでぜひ意見などありましたらお書きください)

 さて、前置きはこのあたりにして、以下から本編です。

 今回はJR万富駅(上郡~岡山)からほど近い、東大寺瓦窯跡の散策記です。

 

***

 岡山駅から普通列車で和気、相生方面へ約23分。

 山陽本線万富駅にやってきた。

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 万富駅というと徒歩圏内にビール会社のキリンの工場があるらしく、お酒好きの方が工場見学や試飲などをしているそうだが私は未成年。
 というかリニューアルのため休館中のようで工場はやっていないそうであった。

  しかし私が乗った電車は和気行き。相生へ向かうためには列車を乗り換えなければならない。その間の待ち時間に観光できそうなところはないかと検索。するとここがヒット。

 正直どこでもよかったっていう感じ丸出しで申し訳ありません…

  とにかく駅近なら行ってみようということで少し散策してみることに。

  ちなみにそのキリンビール工場のサイトはこちら。機会があったらまた行ってみたいところだ。

www.kirin.co.jp

***

 

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 5分ほど歩くと国道沿いに「東大寺瓦窯跡 ←」という案内看板が。

 そこを左に行くと細い道と案内看板があるので案内通りに進む。

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 おお、仰々しい看板や石碑があった…のだが、なんとそこは今はお墓になってしまって、観光地とは思えない雰囲気であった。
 とはいえ国指定史跡に変わりはなく、パンフレットも大きな案内板の隣のポストのような木の箱の中に入っていた。

 ちなみに駐車場はないので注意が必要だ。

 

 では、ここでもらってきたパンフレットの内容を要約してみよう。

 

 奈良時代(約1250年前)に創建された東大寺は、1180年の源平の戦い(以仁王平氏追討の令旨を発した年)で平重衡興福寺とともに焼き討ちをしたため、焼失してしまう。その翌年に俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が60歳で東大寺の復興の責任者である勧進職に任命。そのとき大仏殿などの建物の再建に、周防国から木材が、備前国から瓦が製造されて東大寺に運ばれたのである。

 備前国では備前焼が有名であるように焼き物の生産が盛んであり、吉井川という瀬戸内海への水運もあったため材料や製品の運搬に適していたことから生産地に選ばれたのであろう。

 なお、この俊乗房重源は東大寺復興のみならず、東大寺の運営基盤を作りあげながら各地で仏教を布教し土木事業などの戦災復興にも貢献。東大寺の俊乗堂に「重源上人坐像」という秘仏となり安置されることとなった。

 この東大寺瓦窯跡は14基の瓦窯、管理棟と思われる礎石、工房や暗渠排水施設などが確認されており、瓦窯は長さ5mで幅1.5~2mと非常に大規模な瓦の製造場であり、造られた瓦は約30~40万枚。その瓦は大仏殿だけではなく回廊や門、鐘楼にも使用されたそうだ。
 

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 これがお目当ての軒丸瓦。中央には「大日如来」を表す梵字、その外側に「東大寺大仏殿」の文字が配置されている。

 とはいえこれは実物の3倍ほどの大きさのレプリカなので、実物を見たい方は東大寺に行ったほうがよいだろう。 

  とはいえ円の直径は約20㎝もあり、800年前にこんな立派なものが何十万個も作られたとは相当驚きだ。

 

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 すぐ隣にはその瓦窯跡。何もないこの広さが昔の窯の大きさを物語っていた。

 滞在時間は15分ほどだったが、ここだけなら十分すぎるだろう。

 ビール工場を見ながら駅に着き、相生行に乗車。

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 そして山陽本線の車窓から見えた吉井川。

 広く穏やかな川で中国山地から美作を通って瀬戸内海に流れ込んでいるそうだ。

 遺跡に行く前といった後ではこの川も何となく違って見える…かな。

 

***

 新シリーズ第一回。いかがでしたか。

 写真も文字もやや少ない気もしますが、東北の被災地旅の時に何度も言っている通り、こういうところはネットで見るだけではなく実際に行ってみないと何もわかりませんからね。是非自分の足で見に行ってみてください。

 そこを目的としては行かないようなところも、行ってみると興味深いものがあって意外と楽しめました。これが途中下車の旅の醍醐味でもありますね。

 今度は岡山県立博物館にも行ってみたいです。

 こういうマイナーなところにもいろいろ旅しているので、好評でしたら第二弾も行います。よろしければぜひご期待ください。

 

 

【参考文献】

新詳日本史 浜島書店 

 

【参考リンク】

www.todaiji.or.jp

拝島線50周年記念HM 40105Fの3か月の撮影記録

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 1968年、西武鉄道拝島線が小平~拝島間で全線開業しました。

 昔は戦前の軍需施設用の路線だったのが、今では住宅街を走る重要な支線となった拝島線

 そんな拝島線は2018年で全線開業して50年経ちました。

 2018年というと、ちょうど拝島線で拝島ライナーが運転開始した年。

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 その拝島ライナーに使われる40000系車両の一編成に記念ヘッドマーク(以下HM)が10月1日から3か月ほどつけられて運転されるようになりました。

 鉄オタで拝島線が地元の私にとっては撮りたい!と思う被写体になりました。

 そこで、自分が思う拝島線らしい場所を求めていろいろと撮影してきました。

【拝島】

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 カーブを曲がって、終着へ。

 7番線というホーム案内とイトーヨーカドーの看板にかろうじて助けられました。

 JRと絡めてみたかったですが、ホームの都合上かなわず。

 

 【西武立川

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 拝島線といえば、このように連なる鉄塔群。

 思ったより暗くなりましたが、絶対撮りたかった一枚です。

 

武蔵砂川

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 昭和記念公園が近いからか、かわいらしい四季のイラストが描かれています。

 ちなみに拝島方は春夏のイラストです。

 似た構造の東大和市の壁とは対照的でした。 

    比べてみたかったですが、これも叶いませんでした。

 

玉川上水

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 車両基地ばっかりですが(;^ω^)

 一時期40106Fがなぜか玉川上水で寝てたので、2編成の並びが見られました。

 ちなみに1枚目は12月2日、それ以降は10月に撮影しました。

 

東大和市

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 駅前には青梅橋という交差点があります。

 東大和市と名称変更する前は青梅橋という駅名でした。

 立川と上北台(東大和市役所がある)のちょうど分岐となる重要な交差点。

 運よく都バスがやってきて、こちらもお気に入りです。

 

【小川】

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 去りゆく光景。

 手前の線路を入れればよかったかなと後悔していますが、この小川らしい何となく古めかしい雰囲気が好みです。

 ただ小川駅、トイレくらいはきれいに改良してくれるとありがたいのですが…

 

【萩山】 

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 たくさんの線路。行く先を照らす。

 

 【小平】

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 拝島線の小平どまりの列車との並びは見れませんでしたが、代わりに運よく52席の至福と並びました。

 反対側にいたほうがよかったような…まあ贅沢言ってはいけません。

 

 とにかく、要所要所では撮影できたのはよかったと思います。

 

新宿線内】

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(東村山)

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(南入曽車両基地、敷地外)

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新井薬師前

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(沼袋)

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東大和市

 

 いずれなくなる大きな踏切。

 黄色い電車が見える車庫。

 新井薬師前のカーブに沼袋の新車どうしの離合。

 HMは写っていないですが、新型特急001系をドア越しに。

 大きく変わる西武をイメージに撮って見ました。

 

 50年前は赤電がバンバン走っていたそうです。

 西武鉄道から赤電や3ドア車はおろか、黄色も消えていき、ますます新しい色・顔になりつつあります。

 東村山駅は高架化されますし、新井薬師前沼袋駅も同様に、地下化されることが決まっています。

 

 振り返ってみるとあんな長く感じた大学受験期からもう一年。

 平成という年号もまもなく終わり、気づいたらあっという間にいろいろなものが変わってしまいました。

 来年はいったいどんな年になるのでしょうか。
***

 平成最後の夏、秋、そして年末もそろそろ終わりに近づいています。

 時代も、自分の身のまわりも、西武鉄道も、大きく変わった2018年。

 そのラストの記事が地元かつ自分の好きな拝島線40000系だとは、最後を飾るのにふさわしいのではないでしょうか。

 充実した2018年を無事締めくくることができたかと思います。

 来年も今までのように楽しく、でも全力で一日を過ごしていきたいものです。

 これからも何かしら発信していると思われるので、気が向いたときにでもブログやTwitterを見ていただけたら幸いです。

 最後に、皆様にはいろいろとご迷惑をかけたかもしれませんが、今年もありがとうございました。

 皆様にとって、来年もよい年になりますように。

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【さよなら関電トロバス】 扇沢〜黒部ダム 夏の乗車記録

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 黒部ダム

 富山県の秘境ともいえるような場所に建設されたダム。

 電力不足だった日本の発電量を増やし、経済発展に貢献したダムとして非常に有名ですよね。

 そんな黒部ダムへ東京から行く場合は基本的に信濃大町か長野から扇沢駅までバス、

 扇沢駅から黒部ダム駅まで関電トンネルトロリーバスを乗り継いで行くまたは帰るのが一般的だったかと思われます。

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 トロリーバスとは簡単に言うと、トロリ―ポールという2本のポール(普通の電車では代わりにパンタグラフが用いられている)を通して、架線から電気を集めて走る電車のことです。

 レールはないけど特殊鉄道とされているそうです。

 とはいえ、架線や信号機はあるけれど、どうみてもバスにしかみえないし、

 一台一台ではなく何台も連なって走るというのもなかなか独特で面白い路線でした。

 

 そんな関電トロバスですが、今年11月30日に廃止となり、

 来春から電気バスでの運行になるそうです。

 この夏に扇沢経由で黒部ダムに行っていたのでその記録をご紹介します。

 

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 椅子や窓が普通の車両より高くてハイデッカー。さすが観光路線…と思いきや、 モーターを下に積んでいるから必然的に高くなっただけのようです。

 VVVFというモーター音をうならせるバスというのも鉄道ファンにとってはなかなか味わい深いです。

 ちなみに、そもそもトンネル続きなので景色はあまり楽しめません()

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 先述したとおり、信号機や交換設備もあります。

 単線ながら列車同士が途中ですれ違いするため今は停車していて、赤信号になっています。

 ”バスのような鉄道”とよく言われていますが、こういう意味では”BRTのような鉄道”といったほうがしっくりくる気がします。

 それにしても3連休の中日ということもあって9時前でこの大混雑はきつかった…

 この写真は辛うじて撮れましたが、混雑のためほとんど写真は撮れませんでした。 

 

 ~黒部ダム駅~

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 観光は後で紹介するとして、先に復路をご紹介。

 1時間ほどで退散、10時5分発だったので往路に比べたら少しはすいていましたが、それでも座席はすべて埋まる混雑。

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 復路の待ち時間にじっくりと見てみます。

 1000万人というと今の東京都民の数並み。

 通勤ラッシュの電車に乗ってる人の数よりも何百倍も多い労働力だなんて、予想もつきません。 

 

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 ここまで連なっていると迫力がありますね。

 さて、時間的には早いですが混雑してまた写真が撮れなかったら本末転倒なので出発。

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 トロリーポールが伸びているのがご覧いただけるでしょうか?

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 そして、黒部ダムと言ったら忘れてはいけないのがこの破砕帯。

 工事している最中に軟弱な地層にぶつかってしまい、この岩場から大量の冷たい地下水と土砂が流れ込みました。

 掘削作業は中止かと思われてしまいましたが、それでも、現場の作業員の方は諦めることなく工事続行。

 わずか80m程度の距離の工事に費やした期間は実に7か月。

 映画「黒部の太陽」(私は未視聴)でも大きく取り上げられた最大の難所だったといえましょう。

 そんな苦難の区間も、今ではあっという間に過ぎて行ってしまいます。

 そして、時代は変わり、架線を張ったトロバスは消えていくことに。

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 そんな大町トンネルを過ぎたらもう扇沢駅です。

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***

 引退へのはなむけ、と言っても一回しか行ってないですが、

 不思議でとても面白い路線で楽しかったです。

 特殊な鉄道であるトロバスが一つなくなるのは残念ですが、より新しく環境にやさしい技術を導入することは当然で仕方ないことでしょう。

 立山の方にはまだトロバスが残っているので

 そっちの方にもいつか行ってみたいものです。

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 トロバスはなくなるけれど、次の春にまた新たなアクセスとして親しまれますように。

 お疲れ様でした。

 

 当記事は関西電力さんの特設サイトを参考に書きました。

 ぜひこちらもご覧ください。

www.kepco.co.jp

 

*** 

 さて、お待たせしました。黒部ダムの観光記録です。

 駅に着いた後、ずっと階段を一段飛ばしで登って行ったら、見事一等賞で外に出られましたw

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 先ほど紹介した破砕帯の湧水。階段の途中にあります。

 少しだけ飲んでみましたが相当冷たい。

 こんな水が突然、毎秒660リットル押し寄せてきたんだから現場の方は相当な恐怖だったでしょう。

 ちなみに今は垂れ流しにしているわけではなく、「八サイダー」として販売しているそうです。

 

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 展望台から見た黒部ダム

 この堤防を挟んでこの差だから相当な落差です。

 ふもとは暑かったので快晴ながら少し清々しい天気でした。

 ただ、正直黒部ダムは写真で何度も見ているので

 3000m級の山々とはいえ7月中旬でもまだ雪が残っているということのほうが私にとっては驚きでした。

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 その一方で見つけた慰霊碑。

 7年もの工期、513億円の工費、そして171名の方が亡くなられたようで。

 工事に携わった方、殉職された方、そして今も秘境の黒部を守り続けている方のおかげで今の黒部ダム、今の日本があることを忘れてはいけません。

 

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 そして観光放水はというと、すさまじい水量。

 毎秒10トンもの水を放水しているそうです。

 霧状だから水の形(?)もいちいち変わるので、普通のダムとはスケールが違います。

 とにかく、大量の雪解け水があるから美しい景観がみられるのだろうなあと思ったところです。

 

 ***

 以上。

 黒部ダム、大きすぎて圧倒されて、しかし時間があまりなかったので魅力を半分も感じられなかったかもしれません(苦笑)

 また今度立山も含めてじっくりと訪れたいものです。

【原発に近い現・終着駅】常磐線富岡駅を訪れる

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 11月6日、常磐線の現在終着駅の富岡駅へ行ってきました。

 皆様ご存知の通り、東日本大震災による福島第一原発の事故のため、第一原発付近の福島県沿岸の地域は帰宅困難区域となり、今でも国道や高速道路は自動車でしか移動できません。

 鉄道路線の常磐線もその被害を受けて、本来は東京から仙台まで通じているはずなのですが、現在は富岡~浪江駅間は不通となり、代行バスはあるとはいえ鉄路では東京から富岡までしか行けません。

 とはいえ、帰宅困難区域にほど近い富岡町まで鉄道が通ったというのは当然喜ばしいこと。

 前々から行きたいと思っていた場所についに行く機会ができたので、わずかな時間でしたが散策してきました。

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 いわき15時19分発の富岡行に乗車。

 かつてというかほんの一年前の10月21日までは竜田駅までの運行でした。富岡駅には約6年半ぶりに電車が戻ってきたということになりますね。

 広野(のち竜田)~原ノ町と浜吉田~相馬間が不通だったころと比べると明らかに時は流れ、インフラも復旧しつつあります。

 以下、普通列車の中から撮影した車窓の記録をご紹介します。雨が降っていたので見づらいですがご了承ください。

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 常磐線は海の近くを通ります。末続などは高台にあるからか被害をまぬかれたそうですが、大きな地震が発生して、海沿いは津波の被害は大きかったので建物など相当被害を受けたようです。

 とはいえ、新築とみられる家が所々に建てられていたので人が全くいない町になったというわけではないとみられます。

 各駅で降りる方も見られたので需要は間違いなくあるでしょう。

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 広野町の復興公営住宅です。下北迫団地というそうで、昨年の10月に入居を開始したそうです。

 いくつかの家には車がありますし、近くの国道では車通りもあったので、当然とはいえある程度の住民の方はいらっしゃるようです。

 いわき以北では特に沿線の人口が減っている中出来た公営住宅。新しく完成したことによって活気を生み出したことでしょう。

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 富岡駅の近くにはたくさんの土嚢が積まれていました。

 単なる工事で出てきた土なのか、除染作業なのか。

 熊本や気仙沼でも見かけたので正直驚きはありませんでした…

 7年たった今も復興半ばだというのを改めて気づかされるとともに、ますます復興することを祈り、応援したくなる瞬間でもありました。人知れずに復興のため尽力している方々に敬意を表したいです。

 富岡町は夜ノ森など桜の名所なので、桜のマークや「がんばろう富岡町!」の文字がでかでかと掲げられていて、今も頑張っているとは思いますが、ますます「がんばれ」と思いました。

 こうなってくると訪れる以外にも何かしら貢献したいのですがね…

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 約40分程度で富岡に到着。富岡町の玄関口です。

 ちなみに富岡駅は福島第”二”原発の近くにあります。

 浪江行きの代行バスとの接続がないので空気輸送かと思いきや、意外と降りた方がいました。

 富岡町は比較的大きな町なので復興の拠点の一つだったそうです。実際震災前はすべての特急が止まっていたそうで。

 駅のホームが3番線まである、ということはのちのち特急や、ほぼ単線のいわきから仙台間に当駅終発着の列車が来る、と考えてもいいでしょうか。

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 見づらくて恐縮ですが、まだまだ工事続行中で全線復旧までは遠そうな感じでした。

 しばらくは2番線は未使用で、という可能性ももちろんありますが。

 それでも雨の中黙々と作業をする方々には頭が下がります。

 ちなみに駅の外でも駐車場建設工事をしている方もいました。

 復興するのはおそらくまだまだ先のこと、それでも人知れず復興に向けて尽力されている方がいるのも忘れてはいけないこと、

 くどいですが、ずっと胸に残さなければなりません。

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 放射線量を測る機械。

 放射線は危ない、福島は危ない、住めない、とかいう方がまだいらっしゃるかもしれませんが、

 富岡駅周辺では24時間外に出ている状態で1年間浴びても0.57(mSv/年)程度のようなので、人体には何ら影響はないです。

 もちろん誤差はあれど影響が出てくるのは1(mSv/年)を超えたらで、それを超えることはまずないでしょう。

 そもそも日常生活で放射線を全く浴びない場所など無いし、レントゲンだの飛行機の宇宙線だので一時的に高放射線は浴びることがあるので、今の段階で恐れすぎる必要は全くありません。

 ちなみに、茨城県東海村の原子力科学研究所の展示館にも行っていたので、その記事もまたご紹介します。

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 駅の外にはさくらすてーしょんKINONEという売店食堂や、富岡ホテルというホテルがありました。

 三陸わかめそばをいただいたところ非常においしかったのでまた行きたいところ。

 三陸といえば今は牡蠣が旬ですよね。それも食べたいな。

 

【2019/2/13 追記】

執筆当時は知らなかったのですが、

富岡駅の近くには、東電が原発についての資料館を建設したり、津波から避難するよう呼びかけ続けて殉職された警察官が乗っていた壊れたパトカーが展示されているそう。

また行かないといけませんね。

 

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 代行バスもいつかはなくなり、途中で無残に切られた路線図もつながることでしょう。

 それも近いうちに。

 大野などの途中駅は通過となってしまうかもしれませんが、浪江や原ノ町、相馬といった福島県の北東の地域が仙台だけでなく、

 いわき・水戸・東京まで鉄路でつながると明らかにアクセス向上、少しだとしても住民の方が戻ってくるという方もいるのではないでしょうか。

 もちろんそんな簡単な話ではないとは思いますが、常磐線という長大路線の完全復旧は日本(東北)にとって確実に一つの大きな進歩といえるはず。

 常磐線が復興のシンボルとなるよう願います。

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 富岡町のことは震災が起こるまで何も知らなかったので単なる被災地としか思っていなかったのですが、

 鉄道が開通することで明らかに町のアクセスが向上し、将来はまた活気づくだろうと思います。

 鉄道が町の復興に一役買うことを願っております。

 全線開通した際には東京仙台の乗りつぶしの旅の途中で、富岡ホテルに泊まってみたいなとひそかに思っております。

 

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 ~以下、参考にしたリンク~
www.kangenkon.org

 

 閲覧ありがとうございました。