【美しさと強さを兼ねる姫路城へ】冬の18きっぷ西日本遠征記 東京→姫路
2018年の年末の冬休み、広島へ青春18きっぷで旅に出ていました。
乗り鉄はもちろんですが、お城巡りや世界遺産散策、比較的マイナーな史跡の観光や戦争遺構や博物館の見学など、様々なことを楽しみ、学び、経験した4日間でした。
初日はサンライズ号で姫路へ行き、姫路から18きっぷを使用して姫新線の播磨新宮・赤穂線を経由し播州赤穂・福山を経由して三原まで行きました。
今回は姫路城の観光の記録をご紹介します。かなり長いシリーズとなるのでぜひお楽しみください。
【第0.5~1日】
2018/12/25 東京2221 (車中泊)
12/26 姫路720-908 播磨新宮939-1032 姫路1102-1135 播州赤穂1207-1337 岡山1501-09 福山1610-(暫定ダイヤのため以下省略)三原
2018年の大学が無事終わり、つかの間の冬休みに。そこでクリスマスに一人で旅をすることに(笑)
年末だからいろいろ頑張ってきた一年のご褒美として旅を盛り上げようと贅沢にも(臨時の)寝台特急サンライズエクスプレスに乗車。しかもなぜか姫路まで(笑)
興奮して撮影しまくりましたが、面倒なので写真は少なめにしときます。
で、乗った感想はというと…全く寝れなかったです。
普段と違う環境だとか、興奮していたというのもありますが、1階席ではシングルでも振動が気になりました。ビジネスホテルのシングルの宿泊に慣れていると、どうも熟睡はできず。ムーンライトほどではなかったですがかなりきつかったです…
ノビノビだったらともかく、これなら自分は夜に新幹線で出発し、前泊していったほうがいいかなと思いました。
といっても駅に泊まったら「ここどこ?」って気になっていちいちカーテンを開けて確認しちゃったから当然なんですが←
ほぼ定刻で姫路に到着。結局2時間くらいしか寝てなかったような…
ぼーっとした状態で姫路駅で降ります。
駅のお城口にある展望台から撮影。関西圏の7時半で通勤ラッシュのころでしたが、東京の混雑に慣れてるとどうってことなかったです。やっぱり東京の人の多さには閉口する…
ちなみにJRの新快速は、日中は神戸までの55㎞を40分、大阪までの90㎞を1時間でかっ飛ばすという恐ろしいスピードです。さすがJR西日本。
ちなみに姫路~大阪の87.9㎞という距離は、東京駅から大月、小田原、上総一ノ宮、小金井、本庄、石岡までの距離にほぼ匹敵します。特急列車でも1時間超える区間もざらにあるので、なんだか距離感が狂ってしまいそうですね。
実際、帰りに新快速に乗るのですがその速さに恐怖すら覚えたくらいです。文明ってすごいですね。単にチキンなだけじゃん
駅前北口の大通りは御覧の通りまっすぐで広い歩道も整備されていて、お城まで迷わずに行くことができます。
といっても、駅からお城の入口までだけで大体直線で1.5㎞ほどあるので意外と近いようで20分くらい歩きます。
それだけ姫路城が大きく、目立つということでもあります。
平日の早朝ということでそれらしき観光客はいませんでした。
軽く散策する程度のつもりでしたが、あまりの大きさと美しさに圧倒。
さすが世界遺産だけあって、大変美しいものでした。
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では、軽く姫路城のことについて記してみようと思います。
かつてはここは「姫山」とよばれ(播磨国風土記に記載されている)、1333年(鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政が行われた年ですね)に赤松氏が砦を建てたといわれます。
赤松氏といえば、赤松満祐が室町幕府の将軍・足利義則を殺害した嘉吉の変が有名ですが、どうやら播磨・備前・美作の守護だったそうです。
その後、嘉吉の変や応仁の乱を経て、秀吉の中国攻略のため城を秀吉に献上。秀吉の居城となりました。
秀吉は3層にもなる天守閣を築き、関ケ原の戦いの後に池田輝政が姫路城主になり、大改築。1609年(慶長14年)に今の大天守が建築されました。
西国統治の重要拠点として戦乱の落ち着いた江戸時代以降は本多氏、松平氏、榊原氏らが城主となり、戦乱にあうことはなく今まで400年以上ずっと残ってきたそうです。
ちなみに世界遺産に登録された理由というのがホームページにあったので引用しました。
・その美的完成度が我が国の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものであること。
・17世紀初頭の城郭建築の最盛期に、天守群を中心に、櫓、門、土塀等の建造物や石垣、堀などの土木建築物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示した城であること。http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/about/sekaiisan.html
たしかに、自分の中で「お城」というと無骨なイメージでしたが、姫路城は優雅で美しいというのが印象的でした。実際その美しさから「白鷺(シラサギ)城」とも呼ばれているそうです。
そして、姫路城の特徴は美しさだけでなく、大きさ。
見ていただけるとわかる通り堀と石垣が大きくグルっと囲まれています。なんと3重に濠を巡らし、らせん状の縄張りにしています。
さらに、白漆喰総塗籠造りで、5層7階建ての大天守のほかに3つも小さな天守が渡櫓としてつながっています。(大天守が小天守とつながっている様式を連立式天守という)
本丸・二の丸・三の丸を囲む内濠、中局輪(ぐるわ)といわれる武家町を囲む中濠、外局輪といわれる町人町を囲む外堀…
内局輪までの面積は23万平方メートル、外局輪を含めると面積はなんと233万平方メートル。グーグルマップなどの俯瞰写真を見るとあまりの大きさに感嘆します。
鉄砲狭間や石落しや、急なこう配なども当然あり、美しいながら敵が侵入しにくい作りにするこだわりっぷり。しかも、姫山の原生林にも囲まれています。
桃山文化の象徴として美しさばかりクローズアップされますが、立派な軍事施設としても機能していたのです。
ちなみに、こういう平野(ここでは播磨平野)の中の丘陵や尾根に作られた城のことを平山城といい、犬山城・伏見城・安土城などがこのタイプに含まれます。
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こういう経緯を知ると、やはりまた訪れたくなってしまいました(笑)
入場していないので、ぜひまた行ってみたいと思いました。
日本史の資料集の桃山文化の特徴というページに「城郭建築では全国統一を示す雄大で豪壮な文化が特色である」という風に書かれていましたが納得しました。
お城=戦いという自分の勝手なイメージが変わりましたね。本当に。
正直私はこれを知ったうえでも松本城や熊本城のほうが好きなのですが、日本の名城として紹介するには姫路城が一番ふさわしいと思います。
市街地に近い中にここまで日本を代表する素晴らしいお城がある、というのはやはり世界に誇るべきだとより強く思いました。
閲覧ありがとうございました。
次回は播磨新宮と赤穂に行った記事を紹介します。
参考
・新詳日本史(浜島書店)
・http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/about/history.html