旅先の思い出のーとぶっく

自分の人生を旅先での出会いが変えてくれた。今度は僕が変える番です。

【駅チカ弥生時代の史跡】冬の18きっぷ西日本遠征記 姫路→播磨新宮

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 姫路城を訪れた後は弥生時代の遺跡に行ってみました。

 前回の記事はこちら↓
ikeeki.hatenablog.com

 

 姫路駅から姫新線というローカル線に乗車。

 姫路から津山、中国勝山を経由して新見まで。長さは158.1kmと長大なローカル線。

 とはいえ、姫路市たつの市佐用町、美作市津山市真庭市新見市といったそれなりに大きい地域も通るため、利用客はそれなりに多いそうです。

 実際朝の播磨新宮行きはかなり混雑していましたし、沿線や駅のすぐそばに高校もあり学生の定期利用もあるだろうと見受けられました。

  もちろん、ローカル線の経営はさらに厳しくなっているので油断は禁物です。

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 姫路から30分ほどで播磨新宮に到着。

 新宮町の玄関口で、日中でも30分に1本は姫路から播磨新宮まで運転されています。

 なかなか綺麗で立派な駅舎でした。

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 この辺りは「揖保乃糸」というそうめんが有名で工場があり、煙が黙々と出ていました。

 1つ隣の東觜崎駅からほど近い所にそうめん資料館とか素麺神社、そうめんレストランなどがあり、行ってみたかったのですが、今回はパス。

 播磨新宮の駅にほど近い遺跡に行ってみようと思います。

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 歩くことわずか5分。

 「新宮宮内遺跡 弥生の森」とありました。

 遺跡公園となっているので誰でも気軽に行くことができます。

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 新宮宮内遺跡とは、縄文時代から平安時代の大規模な集落遺跡です。

 揖保川中流沖積平野に位置していて、弥生時代中期に最盛期を迎えました。

 約2000年前の人々の暮らしを伝える西播磨の貴重な遺跡として1982年(昭和57年)に国の史跡に指定されました。

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 一番の目玉は高さ6m直径10mの復元された竪穴住居でしょう。

 地域のボランティアの方が地域史を子供たちに伝えるという願いを込めて作ったそうです。
 屋根にひかれた茅(かや)の確保などに手間取ったそうですが、こういうのをなかなか見ない人にとっては大変素晴らしいものでした。

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 揖保乃糸の工場に引けを取らない存在感でした。

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 何この四角い囲い、と思われる方もいるでしょうが、

 弥生時代は小さなクニがたくさんできて、食糧巡りなどで戦争が起こりました。
 ここは、この集団の最前線で戦った戦士の土壙墓(どこうぼ・墓穴を掘り直接遺体を埋めた墓のこと。この近くにもたくさんの共同墓地?の土壙墓群がある)とされています。
 石鏃といわれるサヌカイト製の石の矢じりを19本も刺されるという壮絶な最期を遂げましたが、仲間によって丁重に埋葬されたと推測されているそうです。

 戦死者の墓のほかにも石剣や石鏃が大量に出土し、多くの戦争があったことがうかがえます。

 このような犠牲のもとで集落やクニは続いてきたのですね…

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 ということで手前にいわゆる濠があり、

 土壙墓のはずれ(写真では真ん中あたり)に凹っとした丸いものは円形周溝墓というお墓がありました。

 姫路城とは似つかないですが、ある意味似た雰囲気があるようなないような…

 そう考えると日本のお城というのは、かなり完成された、国を守るための軍事施設だったんですね。

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 案内板までご丁寧にありました。

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写真は https://style.nikkei.com/article-image?ad=DSXBZO4120597009052012I00001&ng=DGXNASHC07021_Z00C12A5000000


 この遺跡の特徴はこの「分銅形土製品」ではないでしょうか。

 用途不明で祭祀に使われると思われる土器が県では最も多く出土されました。

 この土器、岡山県でも多く出土していることから、吉備国播磨国が強いつながりにあったと推測されるそうです。

 

 それと、近くに「たつの市埋蔵文化財センター」という出土された土器が無料で見学できる博物館があります。

 写真は撮影していませんので、ぜひこちらも行ってみてください。

www.city.tatsuno.lg.jp

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 1時間程度しかいませんでしたが、なかなか楽しめました。列車の乗換時間にふらっと楽しむ程度でもよさそうですね。

 姫新線沿線には竜野城や東觜崎の素麺資料館など色々楽しめそうなので、また行ってみたいです。

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 おまけで、播磨新宮~東觜崎間の車窓で見えた觜崎の屏風岩。

 安山岩の岩脈が山頂に向かって伸びて、屏風を立てているように見えることから名づけられました。

 はげ山かと思っていましたが、岩だったとは驚きでした。

 

 次回は赤穂城を紹介します。

 

参考

・新宮宮内遺跡 パンフレット

たつの市文化財散策マップ

https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC07021_Z00C12A5000000?channel=DF280120166609

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