旅先の思い出のーとぶっく

自分の人生を旅先での出会いが変えてくれた。今度は僕が変える番です。

【東北の被災地に再訪】平成最後の夏休み 気仙沼線の旅

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 今更ではありますが、夏休み最終日の二日間で気仙沼に行ってきて記録を書いてみました。

 旅をしてから二か月経ちましたが、今でも色々なことを思い出して感じることができる、とても考えさせる旅でした。

 

 9/18 大宮742 仙台857-946 小牛田1029-40 柳津1121-(以下BRT)1136 南気仙沼1320-気仙沼1609 奇跡の一本松1635-陸前高田1757 気仙沼1827-45 陸前階上1908

 9/19 大谷海岸1143-志津川1328 陸前横山1348-1453 前谷地1536-(以下鉄道)1557 小牛田1612-18 仙台1705-1821 大宮1930

 

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 新幹線や普通列車を乗り継いで大宮から3時間半で柳津に到着。

 いや~遠かった…というかこれからが本番。

 バスの本数自体は増えて、列車との乗り換えも考慮されていますが、BRTという文字や隠された陸前横山の文字が何となく悲しげです。

 列車やBRTに乗っていた人の多くは地元のご老人や旅行中っぽい方で、柳津行き列車に乗っていた人は一桁台、柳津からBRTに乗車したのは確か片手で数えるほどでした。

 そうそう、車内で本読んでたら陸前豊里で降りるおばあさんに「良い旅を」と言っていただきました。この場を借りてありがとうございました…!

 ちなみに志津川あたりから乗客は自分ひとりという状況が続きましたが、本吉で大勢の高校生が乗ってきたのでとても気まずかったですw

 

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 南気仙沼で下車。街道沿いで車や人通りも多く、飲食店や販売店など建物も多くかなり栄えてるなあと思いました。

 後ほどその理由を知り衝撃を受けてしまいますが…

 ちなみに少し海沿いへ歩いたらこのありさまです。更地でいまだに復興のための工事をしていました。

 

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  リアスシャークミュージアムと氷の水族館に行ってきました。

 水族館といってもただ単に魚が氷漬けされてライトアップされているだけでしたw そして寒かった。。防寒着借りたとはいえマイナス20度ですからね。

 ここは日本で唯一のサメの博物館だそう。なかなか興味深かったです。

 サメの展示だけではなく、東日本大震災気仙沼の展示もありました。

 

 被災時の気仙沼の動画がシアターで流れていたので見てみましたが、感想としては胸が苦しくなるというか息が詰まるというか…

 百聞は一見に如かずなので伝わらないかもしれませんが、動画を見て私が思ったことは

 「町が消えた」

 だったんですよね。

 

 大津波警報が鳴り響き、建物や大きな船が津波で流され、逃げ遅れて家とともに津波に流される人たち、火災で海が燃えて(船から燃料が漏れてしまった)火の海となった港、でも何もできず呆然と立ち尽くす住民の人たち。被害情報も伝わらずいつまでも続く余震。

 こんなのはっきり言って絶望ですよ、きっと…

 

 それでも、諦めずに前を向き復興のため現実に立ち向かって少しずつ活気を取り戻していったといいます。

 「1000年に1度津波が来るならほかの999年頑張ればいい」

 詳しい言葉は失念しましたが、そう言った地元の漁師さんの言葉が展示室にありました。

 今でも辛くなったときはその言葉を思い出して頑張っています。

 改めて東北の復興を応援したいと思いました。

***

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 で、半年ぶりに奇跡の一本松へ。

 駆け足での訪問でしたが、驚いたのが何もなかった3月に比べて建物の土台が建設されていて砂浜を再生する工事が始まっていました。

 いままでは地盤を固めていただけかもしれませんが、少しずつ復興へ向けて整備と建設が進められていることがはっきりと見えました。

 実際に被災地に行って状況を見てほしい。

 震災のことを忘れないでほしい。

 復興まで見届けてほしい。

 熊本にボランティアに行った時も(写真があまりないのでブログでの紹介は省略しますが)、のちに気仙沼に住む地元の方とお話しした時も、皆さん口をそろえてこの言葉を言っていますが、今はその理由がわかる気がします。

 明らかに復興しているんですよね。でも、このことは記憶から抜けていき、風化していく。はっきり言って仕方ないことだとは思います。毎年3月11日にふとこんなことがあったよな、悲しい日だったな、と同情するほうが悲惨だと思います。

 実際、自分の目で現状を見ることで改めて震災のことを実感できるし、復興に向けて尽力している方を見ると、より被災地を応援しようという気持ちになります。

 

 何が起こったかを将来忘れさせないために、将来の世代の教訓のために。

 微力どころかお金や時間がある時しか行くことが出来ないですが、これからも実際に現地に行き続けたいと思います。

 

 宿はゲストハウス「架け橋」さん。

 まったくの偶然でしたが、地元の方の夕食会的な集まりがあり、地元の方たちといろいろと話をさせていただきました。

 安さだけで選びましたが、楽しいひと時でした。

 リンク→https://www.kakehashi0311.com/

 

***

 翌日、気仙沼を発つ前にまちあるき(別途2000円)で気仙沼を巡らせていただくことに。

 まちあるきといっても完全に車に乗せていってもらいましたし、基本的にスケジュールなども考慮してくれるそうです。

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 気仙沼から徒歩30分と比較的近くにある安波山。標高239mで、途中まで車で行けます。

 見づらくて恐縮ですが、写真の一番左(たぶん東)側が海で、仕事場の漁港があるので早い段階で復旧したそうです。実際に新しい雰囲気でした。

 そこから西に向かうと更地があり、工事中。

 さらに西には国道があり、不動の沢(と南気仙沼)駅。震災以前は南気仙沼の方が町の中心駅としての機能があったそうです。

 実際、国道沿いはわりと栄えていました。

 しかし中心部や国道沿いは津波でがれきに覆われたり浸水したり壊滅したため、建物のほとんどを新しくしたそうで。建物が綺麗で活気があるのは、かつてその周辺で津波の被害を受けたからでした。何とも皮肉な…

 で、右端というかさらに西が気仙沼駅。終着駅なのですが 中心市街地から外れていて山に近いので、あまり津波の被害がなかったそうで、周辺の建物は割と古い感じでした。

 実際、大船渡線一ノ関~気仙沼は被害が少なかったことが幸いして約1か月後の4月1日に復旧しています。

 この界隈だけでも見ていただいたように完全に復興したとは言い難い状況でした…

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 震災遺構となった向洋高校です。

 見るも無残ですよね。。正直奇跡の一本松のように何もない更地よりこういう破壊されたもののほうがよりリアルで(どっちもリアルだけど)津波の恐ろしさをより伝えている気がします。

 津波が引いたときに車がのっかったそう。建物の上に乗っかるほど大きく強い力の津波だったのでしょう。

 津波に飲まれた方はやはり助からなかったのだろうか… そんな考えたくないことを頭をよぎりました。

 ここでまちあるきが終了し、 大谷海岸に送っていただきました。

 この場を借りて本当にありがとうございました…!

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 大谷海岸駅前には道の駅があります。

 駅の遺構もここだけ無残に残っていて、やはり鉄道での復旧は絶たれてしまったのかと思いました。

 それにしても、いつも思いますがこんな穏やかな海が荒れ狂っただなんて、あの動画を見た今でも想像できません。

 

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 志津川で途中下車し、昼食。

 南三陸さんさん商店街という”本設”の商店街へ。

 仮設ではありません。全部は回っていませんが、木造の平屋が30棟ほどありました。

 地元の方も食事されていて活気がありました。

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 ちなみに裏側はこんな感じ。

 防災庁舎跡が今も残っていました。

 津波が近くまで迫るなか、高台への避難を住民に最後まで伝え続けた方もいるそうで。

 命を懸けて一人でも多くの人を救おうとしたその思いを無駄にしてはいけない。そう改めて思いました。

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 時間もだいぶ余ったので陸前横山で寄り道。

 駅からほど近い横山不動尊というところに行ってみました。

 ひっそりしたなか突然現れる立派な門や広い境内の散策、きつい奥の院への山道はなかなか東京で感じることはできないので楽しかったです。

 

 こうしてBRTや列車内で寝ながら東京へ。熊本の被災地でのボランティアに始まった大学一年目の夏休みは、東北の被災地への旅で幕を閉じました。

***

 自分が東北になぜここまで惹かれているのか不思議に思うことがあります。

 単純に復興を応援するからというより、行けば行くほど東北が好きになります。

 なぜ? 正直わかりません。多分皆さんに伝えることもできないでしょう。

 

 だから、皆さんにも実際に行って感じてほしい。

 

 東北の美しさや、人々の温かさを。

 一方で今も復興進まぬ現状と津波の恐ろしさを。

 そして、地元の方々の熱意と努力と底力を。

 

 自分に出来ることはとても限られているのかもしれないけれど、

 その中で少しでも出来ることを考えていきたいです。

 

 最後までの閲覧ありがとうございました。

 

※過去の記事も含めて、間違いなどの指摘などございましたらお手数ですが、コメントなどでどうぞご遠慮なくお申し付けください。